
はじめに
どうもー、オハです!
タクさんです。
さて、僕らって結構「自己肯定感」にこだわったりすることってあるじゃないですか。
たとえば、「自己肯定感が低い自分は悪い」って思い込んでたりしてねー。
で、ここでよくある勘違いがあるんです。「自己評価を上げることによって、自己肯定感をあげようとする」ってやつなんです。
たしかに、自己評価が高ければ肯定感も上がる気がするんですけどねー。
でもそもそも評価と肯定感は全くの別物なんです。
だから、評価に関係なく肯定感は上がったり下がったりします。
この肯定感と評価を結びつけちゃうと、それこそ不安定になってしまったりもします。
だって評価って、よくよく見たら“誰か(自分も含めて)の勝手なものさし”だったりするし、そもそもそんなもの絶対的にあるわけじゃないんですよねー。
だから、自己肯定感と自己評価は結びつけなくていいんです。
また、自己肯定「感」っていうじゃないですか。
この「感」ってのがくせものでしてねぇ。
この「感」ついてる通り、自己肯定“感”はあくまでたんなる感じ方に過ぎないんですよねー。
だからまるで天気のようなものでもあります。
上がることもあれば下がることもあるんです。
だから「自己肯定感がない=価値がない」なんてのは完全な錯覚なんです。
そして、感があるなしにこだわる必要性すらないんです。
・そもそも“自己”もあとづけ
さらに言っちゃうとね、
「肯定されてる“あなた”」って、そもそもあとから思考の中で作られた存在なんです。
生きているがあって、その中に「私ってこういう人間」っていうストーリーがくっついてきてるわけですからねー。
ですので、“あなた”という誰かが肯定されてるんじゃなくて、「存在そのもの」がただ起きているだけなんです。
そして存在そのものに肯定も否定も評価もありません。
自己もあとづけなら、評価はもっとあと、肯定感にしたって単なる感じ方にすぎないってわけですね。
もうこれ、こだわる要素ありませんよねぇ?
・何者かになんぞならんでよし!
「ちゃんとしなきゃ」「価値を生み出さなきゃ」ってついつい僕らって焦っちゃったりしますし、そうやって評価した自己を他の何かに比べては不安になったりするわけですが、
べつにそんな評価に頼らなくても、さらには肯定感に振り回されなくても、もうすでにあなたは完全に肯定されているんです。
そもそも肯定されてるというよりは否定されている要素が一切ないんです。
肯定感がないときでさえ、あなた(という思考)が生み出される前から、ずーっと丸ごと完全な肯定をもとに存在してたってことですからねー。
だから安心して、今ここにいていいですし、ずっと今ここにいたんです。