Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自然はただ起きてるだけ。僕もあなたもだいたいそんな感じ

はじめに

はーい。
散歩が趣味のタクさんです。

どうですか?みなさん。
最近散歩はしてますか?

散歩したり、公園でぼーっとしつつ、木々を眺めていると
「自然と触れ合うのってええなぁ〜」ってなんかほっこりしますよね。
でも、これってよーく考えると変な考えだなぁって思ったんですよ。

なんでかっていうと、そもそも僕ら人間だって自然に生まれた存在じゃないですか。
自然に生まれ、自然に成長して、生きてるわけですもんね。

よーし、今日は身長を5cm伸ばしちゃうぞ!ってなことを意図して成長したりしてるわけではないですもんね。

風が吹くのも、雨が降るのも、鳥が飛ぶのも、ぜーんぶ自然現象なら、
僕ら人間だって、まさにその自然現象の一部なはずです。
呼吸をして、心臓が動いて、感情が湧き上がる。それも全部、自然なことであって、誰かが意図してやっているわけじゃありませんもんね。

それを僕らは「自然」と「人工的なもの」って勝手に分けているだけで、
「自然」と「私」を別モノとして見てる感覚って、実はちょっとズレてるのかもしれません。

もしかしたら、カラスからみた僕らの街は単なるエサが豊富な森に過ぎないのかもしれませんね。

あるがままに起きている、ただそれだけ

自然はおおらかで淡々としてます。
風が吹くのに理由なんてないし、海が波打つのも誰かの指示じゃない。
天気にしたって「今日はあなたがんばったから晴れでーっす!」なんてことにはならないですもんねー。

自然は「意図なくただ起きている」んです。
そこに意味をつけるのは僕らの思考であって、自然そのものは「そのまんま」起きてる。
雨が降ったから悲しいとか、風が強いから嫌だなとか、そういうふうに感じるのは自然じゃなくて「解釈」の方なんです。

でね、これって僕らの日常も同じなんです。
予定がキャンセルになった、上司に怒られた、恋人にふられた……そういう出来事も、実はただ起きているだけ。
そこに「つらい」とか「最悪」とかっていう意味づけをするのはたんなる思考のクセなんです。

書き換えられる「現実」と、本当の自然

「あるがままを感じる」っていうと、なんだかすごく難しそうに聞こえるけど、実は僕ら、もうすでにそうしています。

でもその感覚を、思考が「これはよくない」とか「こうあるべきだ」とかってラベルを貼って、書き換えてるだけなんです。

そしてこの「書き換え」もまた、広い意味では自然の流れの一部だったりするんですけどね。
ただ、その書き換えによって、自然を不自然に見ていることに僕らは無頓着なんです。
その結果、意味の迷路に迷い込んだりしているわけなんですよねー。

この不自然さにあらためて気づいた瞬間に「ああ、ただ起きてるだけなんだ」ってことを知るんです。すると何かをどうこうしなければならないっていう妙な脅迫から自由になるんです。

よく「自然に戻ろう」なんて言われてたりしますがそもそも僕らは自然のど真ん中にいるんですよね。
そしてその自然は、意図なく、静かに流れているんです。

 

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