Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

後悔ってエモい!

はじめに

どもども!タクさんでございます。  
さてさて、今回は「後悔」について語ってみたいと思います。

いやぁー。後悔ってしたくないっすよね。

よく言われる話として、死ぬ前に人が一番後悔するのは「挑戦しなかったこと」だなんていう説得力のある話もあったりするじゃないですか?
誰に聞いたんや?
何人に聞いたんや!
とか確かめたくなりますが、ま、ありそうな話でもあるし年を取ると挑戦しなかった後悔をすることもあるかもしれませんもんねー。  
だからこそ、ぼくらは「後悔しないように生きたい」と願ったり、「やりたいことをやっておこう!」って思ったりしますもんねー。

でもね、もしですよ? 
その「後悔したくない」と思った時点で、実はもうすでに後悔という罠にハマっているとしたらどうでしょう?  
後悔しないようにしよう、という思いそのものが、もうすでに後悔というものを「悪いもの」だと前提づけてしまい、そして知らず知らずのうちに後悔という鎖に縛られてしまっているのかもしれないんです。

というわけで、今日は、後悔は悪くない!むしろエモい!ということについて書いてみたいと思います。

後悔は「悪いもの」だという錯覚

後悔って別に悪いものじゃないんですよ。
それを「悪いもの」と決めつけてしまう。これがそもそもの錯覚なんです。  
もちろん、失敗したり、うまくいかなかったりしたら気持ちは落ち込むかもしれません。  
でも、だからといって後悔が「悪」かというと、それはまた違う話なんです。

後悔ってね、実はめちゃくちゃエモいんです。  
エモいというのは、感情を動かされる、心が揺れる、そんなニュアンスですね。  
もし仮に「後悔のない人生」を生きたとしたら、たぶん僕たちは人生にエモさを感じられないかもしれません。
そしてそれはどこか味気ない、平坦なものかもしれないんです。
まあ、後悔のない人生なんてそもそもないのかもしれませんけどね。
だからこそ人生というものはエモいわけなんです。

後悔って実は人生の中の大事なスパイスなんです。  
それを「絶対にないほうがいいもの」と思い込むのはそもそもボタンをかけちがっているかもしれないんです。

実体験から見る後悔のエモさ

ここでちょっと僕自身の話を少しさせてもらうと、今僕はデザインの仕事をしています。  
若いころ、デザインの世界で仕事をすることに強烈な憧れがありました。  
クリエイティブな世界で、自分の感性を仕事にできたらどんなに素敵だろう!って本気で思っていたんです。

でも、実際にデザインの仕事を始めてみると、憧れていたころには見えなかった現実がどんどん見えてくるものです。
もちろん覚悟はしていましたが、やっぱりだるい部分、しんどい部分、つまらない作業、理不尽な要求、クライアントとのギャップって出てくるものなんですよ。  
もちろん、楽しいこともたくさんあるけれど、理想だけでは成り立たないのが現実です。
当時は、他の業種なんかより、デザインの仕事がものすごく輝いて見えていたけれど、他の業種だって面白そうだし、素敵だよなーって思うこともよくあります。
でも、もし若い頃に違う道を選んでいたら選んでいたで、「あのときデザインに挑戦していればなぁ」ってエモく後悔したと思うんですよね。
この感情、このエモさこそが、人生の味にいい感じの深みを加えてくれるんです。

後悔を恐れず味わう

だからこそ、後悔って別に悪いものじゃないんです。
やりたいことを全部やって、後悔ゼロで生きようなんて思わなくていいんですよね。  
むしろ、過去にうまくいかなかったこと、やりきれなかったこと、選ばなかったこと、そういうものがあるからこそ、人生はいい味を醸し出してくれるんです。

後悔は「悪」じゃありません。  
「悪いもの」だと決めつけて、後悔しないように、という思いに捕まっちゃうと逆に後悔の影に怯えて生きることになっちゃいますもんねー。  

後悔してもいいものなんです。  
「あー、あのときこうしてたらなぁ」って思ってもいい。  
そのエモさを、しっかり味わえばいいんです。

 

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