
はじめに
どうもどうも!
タクさんでございます。
さて、今日はもしかしたらみなさんもよく耳にする「カルマ」について語ってみようかなと思います。
さて、みなさん「カルマ」ってどんな印象がありますか?
「うわ、なんか嫌な感じのやつ!」とか
「なんか前世とか運命とか言われそう…」みたいな感覚があったりするかもしれませんねー。
僕もこの「カルマ」って言葉が嫌いなんですよー。
特に「それは前世のカルマのせいですね〜」とか言われたりするやつ。
そんなもん確認できないやん!ずるいやん!って感じですよね。
なんなら、そのまま「あなたのせいじゃないですよ(でもどうしようもないですけどね)」っていう免罪符みたいにされることもあって。
またイメージも嫌じゃないですか。
重たーいイメージがありますよねー?
ま、そんなカルマのイメージって実はちょっと違ってて、良いカルマも悪いカルマもないんです。
・カルマの正体は、意外とフツー。
じゃあ実カルマって何なん?って話なんですが。
あれ、簡単に言うと「思考のクセ」のことなんです。
言ってみれば、習慣化されて無意識のうちに繰り返してしまうパターンみたいなものです。
「先祖代々のカルマが〜」とか「前世の記憶が〜」ってやつも、簡単に解釈すると、「生まれ持った個性」とか「感情の傾向」みたいなもんだと思っていていいと思います。
そして実は、その思いのクセこそが、僕たちが普段「これが自分だ」としている“私”の正体でもあるんです。
つまり「私らしさ」って、クセの集合体みたいなものなんですよね。
ま、だから習慣を変えれば「私」が変わる!
なんてことも言われていますが、そもそもこの「習慣」の集合やその一部を私と呼んでいるようなものなんです。
・マシン語が世界を作る?自我のリアル変換処理
さて、僕らの心の中で起きてることをざっくり描くと、こうなります。
最初に湧いてくるのは、名前も形もない、ただの感覚みたいなもの。
まるでコンピューターの「マシン語」みたいな、生っぽいエネルギーなんです。
それを「自我ちゃん」がキャッチすると、即座に「これは怒り!」「これは悲しみ!」みたいに、わかりやすい“グラフィック”に変換してくる。
僕らが見てる世界って、実はこの変換処理の結果なんですね。
まさに心の中にリアルタイムで描画されてる心の3DCGみたいなものなんです。
そして変換された「怒り」とか「悲しみ」に対して、さらに「誰のせいか?」ってストーリーを構築していくわけですな。
時に犯人探しをしたり、さらには自分を責めたりしたり。
そうやってドラマは完成されて、延々と頭の中で繰り返すわけです。
でもこれ、元はと言えばマシン語みたいな「意味のない感覚」から始まってるんです。
自我ちゃんが勝手に意味をつけて、物語にしちゃってるだけなんです。
この物語化のクセ。ここがまさに「カルマ」の出番なんです。
・気づくだけで、ドラマは終わる
じゃあどうしたら、このカルマ=思考グセを手放せるのか?
それもね、めっちゃシンプルなんです。
「気づくこと」ただそれだけ。
「あ、いま怒りをジャッジして、その原因を勝手に作ってるな」とか、
「今、昔の感情と混ざってドラマ化してるな」って気づいた瞬間、ふわっと力が抜ける。
その気づきこそが、カルマの“解放ボタン”なんですよね。
押す必要すらなくて、見るだけでOKなんです。
「私」って感じている存在も、よく観察してみれば、長年の思考グセの蓄積でできあがった“クセの集合体”なんです。
あるがままを感じるとか、あるがままにみるっていうのもね。
作られた方のドラマをみるんじゃなくて、あ、こんな感じでドラマって作られてるのかーっていう舞台裏をみるような感じなんですよね。
・カルマちゃんは可愛いくせっ子なんです。
というわけで、カルマっていうと、なんか重たくちょっと怖い印象がありますが、実際は「思考のクセ」とか「感情の習慣」みたいなもんなんです。
そして、その集まりが「あなたらしさ」だったり、「人生の味付け」になってたりするわけですね。
ま、そう解釈されているだけなんですが。
なので、怖がる必要もなければ、過去世とかでビビる必要もない。
そもそも、そんなもんありませんからねー。
むしろ、「あ、また出たなこのクセ(笑)」くらいに可愛いドジなくせっ子見てあげる感じでいいんです。
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