Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思いを手放すって、思いをなくすことじゃないんよね。

はじめに

どもー!  
タクさんです。

今日は「思いを手放す」について書いてみたいと思います。

まー、よく言われてたりしますよね。

「その思い、手放しましょう」  
「執着を手放して、もっと自由になりましょう」

ってな感じでねー。
たしかに、言ってることは頭では分かるんだけど、でも実際それをやろうとすると、こう思ったりしません?

「うーん。でもそれって、今までの自分を全部否定するみたいじゃない?」  
「この思いを手放したら、私って私じゃなくなるんじゃないの?」

確かに、嫌な思いに限ってはすぐに手放してみたい気もするけど、大事な思いだってあるわけですからねー。
ちょっと抵抗があったりしますよね。

思いを手放すって、まるで「今まで積み上げてきた“自分”そのものを手放す」ように感じたりするんですよね。  
だからちょっと怖いし、ちょっと拒否したくなったりもする。
でも、それって本当に「自分」が消えてしまうことなんでしょうか?  
今日はそのへん、一緒にゆるっと見ていきましょう。

・忘れるんじゃなくて、いさせてあげる

そもそもなんですが、手放すって「忘れる」ことじゃないんです。
よくある勘違いで、「それはもう過去のことだから、水に流しましょう!」みたいなノリで、思いごと丸っとなかったことにしようとしちゃうことってあるかもしれません。

でもこれって、思いを忘れたり、忘れることによって消そうとすることじゃないんですよね。
それだったら、かなり難しいじゃないですか。
そうじゃなくて、ちゃんとその思いの居場所を確保してあげていさせてあげることなんです。

たとえば、何かにすごく執着してたり、過去の後悔をずっと抱えていたり、誰かに対する怒りが手放せなかったりするとしますよねぇ。
それなら、そんな思いを大いに抱き寄せていさせてあげるんです。

こういう思いってずっと自分に否定されてきてますのでねー、ちょっと傷ついてたりするんです。
だから機をみては「自分を見て!」ってサインを送ってきたりするんです。

だから、「あぁ、そこにそういう思いがあるんだね」って、まずはちゃんといるんだねーってみてあげる。
そして嫌わずに、否定せずに、「いていいよ」っていさせてあげる。
それが、手放すの本質なんです。

・「積み上げてきた自分を手放す」怖さの正体

でね、思いを手放すことって、今までの自分の物語を手放すように感じたりするじゃないですか。

「私はこれまでずっと、この信念で生きてきた」
「この経験があるからこそ、今の自分がいる」
「この思いだけは、絶対に大事にしていたい」

そうやって、自分という存在を積み重ねてきた感覚があるから、手放すって言われると「それ全部崩れちゃうの?」って不安になったりすることもあるかもしれません。

でもこれだって、実際には何も崩れないし、あなたは何も失わないんです。
ま、得てすらいないんですけどね。

つまり、積み上げてきたものを壊すんじゃなくて、「ああ、これはもう握りしめなくても大丈夫だな」って、ただ手をゆるめるだけなんです。

まるで自分が握りしめていたと思っていたハンドルから手を離してみる感じです。
すると、あれ?離しても別に一緒じゃん!ってなるんです。
そもそも、僕らは何も手にしていないし、なにもコントロールしていなかったんです。

だから、得たものもなければ手放すものすらなかったんです。

ま、そんなわけで、手放すとは自分を捨てることでも、思い出を忘れることでもありません。
むしろ、自分のすべてをまるごと抱きしめて、安心させてあげることなんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

 

X(twitter)もやっております。
どうかフォローしてやってくだせえ!
メッセージなどで繋がりましょ〜!

https://x.com/TakuTakuteto