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非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

非二元で楽になれるの?なれないの?

はじめに

いやぁー。
どうもどうも!
タクさんでございます。

いやー。それにしてもですが、
やっぱり「楽」になりたいですよねー。

きっとみなさんも、「楽」が良いし「楽」になりたいわぁ〜。
って感じてらっしゃるかと思います。

良いですよね!「楽」。
なんか軽いですもんね。

そして、非二元とか悟りとか。
言い方や定義はどうでも良いですが、そういうのに興味を持つのもやっぱり「楽」になりたいから!って方も多いんじゃ無いかなーって思います。

僕もね。
思い起こすとこの「楽」こそ手に入れたい最上のものでしたもん。
いくら地位が高くても、いくら金を持っていても、いくら健康であっても、いくら見た目が良くても、やっぱり「楽」とは全然関係なく、結局は比較の幻想に引っ張り込まれるんですもんねー。

というわけで今日は、
「非二元で楽になれるの?なれないの?」
ってなことについて書いてみたいと思います。

・非二元で楽になれるの?なれないの?

非二元(ノンデュアリティ)に触れた人の中には、「全然何も変わらない」という人もいれば、「楽になった!」って人もいますよね。
結局どっちを信用したら良いのよ!って混乱してる方もおられるかと思います。

でも、これって実はどっちでもないんです。
そもそも苦楽って存在してないんですよね。

「え?じゃあ、楽になったっていう人は何なの?」って思うかもしれません。でも、それは「楽になったように見える」だけなんです。

重たい荷物を背負っていて、それを降ろすと楽になったー!って感じるじゃ無いですか。
でも、その荷物って実際には存在してなかった!
みたいな感じなんです。

「楽になる」とか「何かが変わる」っていうのは、あくまで個人的なストーリーであってこのストーリーは存在していません。
あるかのように見えているだけ。
ですので、楽になったかのように見えることもあるよ!ってことであって、
変な話、「苦楽」は存在しないということを知ることによって楽になったかのように見えることもある。
ってな感じなんです。

・「原因」に求めなくてもいい

「こういう原因があるから苦しい」そして「非二元を知ることで楽になれる」ってなこと自体がストーリーなんです。

僕らは「これが原因で、これが結果」っていうふうに、物事を因果関係で見ようとするじゃないですか。これだってあくまでそう見えているだけなんです。

実際には、何かが作用しているわけでもないので、その作用で楽になるわけでもなく、最初から苦楽は存在しないんです。

そして今まで通り変わることなく、この現象としてのストーリーは、原因と結果があるように見えるんです。

たとえば、「今日は疲れたから明日は休もう」とか、「あの人の言葉に傷ついたから、ちょっと距離を取ろう」とか、そういうことは普通に起こるわけです。

でも、それを「真実」とか「絶対的なもの」として捉える必要はないんですね。
そう見えているだけなんです。

・「ハマるときはハマる」でOK

非二元を知るとまったく悩みがなくなるのか?というわけでもなくて、
普通に悩むときは悩むし、苦しむときは苦しむんです。

これは、悲しい映画を見れば悲しくなる。
みたいなことでしてね。
それで良いじゃん!ってことなんです。

これを変えなきゃならないってことじゃ無いんですよね。
そして、変えなきゃならない!という思いがでてくるのもまた必然なんです。

つまり、「非二元を知ることで楽になれる」とか「これが原因だから苦しい」っていう発想自体が、ただのストーリーだったと気づくわけです。

だから、非二元を知ったら楽になれるの?っていう問いに対する答えは、「そもそも苦楽がない」ってことになります。

どっちかに決める必要もなく、ただそれがあるだけなんです。

 

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