Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

持ってるつもりで持ってなかった!

はじめに

どもです!タクさんです。

「思考を手放す」ってよく言われていますが、これって結構やっかいですよねー。
まずできっこないんですよ。
なぜなら「よし!手放そう!」と思った瞬間に、それがもう思考になっちゃうという矛盾がありますでしょう?
さらに、手放せたかどうかを確認した時点で、それも思考の一部になっちゃってるんですからねぇ。
これはもう堂々巡りが確定しておるんです。

「おいおい!じゃあ、どうすればいいんだい?」って話になるわけですが、この「どうしたらいい?」を探すこと自体がこれまた思考の罠だったりするわけでしてね。
探せば探すほど、思考の世界にダイブしちゃうっていうね。

このあたりも厄介なものです。

・僕もめっちゃ頑張ってた

実は僕も、十数年前になるのかもしれませんが、
「思考を手放す」ことに命をかけてたんですよ。
大袈裟じゃなく、これができなければ、もうこの先お先真っ暗!死ぬしかない!
って思ってましたからねー。

いろんな先生が、何かにつけて「それは思考です」「それを手放しなさい!」って言うじゃないですか。
そう言われるもんだから、「そりゃもうやるしかない!」と本気で取り組んでたんです。

ある時は、滝に打たれたり、三日三晩ぶっ通しで瞑想したり、週一ペースで徹夜瞑想をしてみたり、変な(笑)儀式みたいなものをやってもらったりと、ありとあらゆることをやってましたねー。
今考えると、めちゃくちゃストイックでした(笑)。

で、そういうことをしてると、いろんな体験もあるんですよ。
背中に電流が走るような衝撃を感じたり、目を閉じてるのにまぶしい光に包まれたり。
みたいな感じですねー。
瞑想中って目を閉じてるじゃないですか。
それなのにものすごく眩しいんです。でも目を閉じるわけにはいかないですよね?
だってもう閉じてるんだから。
あれはちょっと不思議でしたねー。

そして、そういう体験があるたびに、「あ、今いい感じに近づいてるんじゃないだろうか?」って思ったりしてね。

・そもそも持っていなかった

でもね、そもそも持ってなかったんです。
なににも近づいていないし、どこにも行っていないし、何かを手に入れてすらいなかったんですよね。

ですので、思考を手放す以前に、そもそも思考なんて持ってなかったんですよ!
それを持つ誰かもいませんしね。

どないやねんっ!って感じです。

この当たり前のことに気づいた時に、かなり拍子抜けしたんですけど、
僕らは「思考を持ってる」と思い込んでただけで、実際は何も持ってなかったんです。
持ってるものを手放すんじゃなくて、「持ってるつもりだったこと」に気づくんです。

ホントそれだけ。

それに気づいた瞬間は、なんだかものすごーく安心したんです。

「なんだ、持ってなかったんだ!よかったー!」って感じです。

ほら、社会人になりたての頃って、
「学校の単位が足りないっ!このままでは卒業できないっ!」みたいな夢ってみたことありませんか?
そして、目が覚めて、あ!もう卒業してるし大丈夫だ!って安心する。

なんか、これに似てるような気がします。
まさに夢から目覚めるって感じです。

今まで、「どうやったら思考を手放せるか?」って必死になってたのが、アホらしくなるくらいシンプルなことだったんです。

僕らって、何かを得ようと頑張るけど、実は最初から何も失ってないし、失ってないのなら得る必要もなかったんですよねー。

これに気づいたら、あとは元通り。
「思考を手放すぞ!」なんてことを考える必要すらなくなって、ただ今ここにいるだけ。

思考ちゃんからすると、今ここは退屈に見えるかもしれませんが、ホントそれだけなんです。

さて、あなたは今、何を「持っている」でしょうか?
それ、本当に持ってますでしょうか?
もしかすると、ただ「持ってるつもり」なだけかもですよー?

 

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