Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

どんな感情もそのまんまいさせておいてあげるということ

はじめに

はいどうもー!
やや疲れ気味のタクさんでございます。
普段は自宅でものづくりをしているわけなんですけどねー。
たまーに外に出てあれこれと取材みたいなことをしなきゃいけない時期がございまして、
それがここ最近続いたって感じですねー。

ちょっと体力つけていかなきゃならんなーと思っている今日この頃ですが、
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

さて、本音と建前ってあるじゃないですか。
たとえば、仕事で「この案件、めっちゃ面倒だな」と思ってても、「やりがいがあります!」って言ってみたり。
友達に誘われたけど気乗りしないとき、「ごめん、その日は予定があって」とやんわり断ったり。
こういうのは人間関係を円滑にするために必要なスキルだったりするんですが、実はこの本音と建前の関係、対人関係に限った話じゃないんです。
しかもちょっとややこしいことに、基本的に建前って嘘じゃないですか?
だって、本音は全然違うところにあるわけですからね。

それが、気づかない間に、この建前が本音であると錯覚しちゃったりするんです。

今日はその辺について書いてみたいと思います。

・自分の中にも本音と建前がある?

実は、この本音と建前って、人との関係にだけ存在するのではなく、僕ら自身の感情と思考の間にもあったりするんです。
そして、僕らは無意識のうちに、自分の感情を建前に変換してしまうんです。
つまり、建前を本音に変換してしまうっていう厄介なクセがあるんですねー。

例えば、本当はプレッシャーだらけでツラいのに、「この仕事は好きでやってるんだ!これこそ私の使命なんだ!」とと思っていたり、

本当は頑張りすぎて疲れているのに、「私は頑張れる人間だから、まだ大丈夫」と自分を追い込んでしまう。
一緒にいると気疲れする家族やパートナーがいるのに、「家族なんだから、居心地が悪いはずがない」と思い込んでいたり、
住んでいる場所が合わなくて息苦しいのに、「便利な場所だし、いい環境なはず」と思い込んでいる。

こういう例はわかりやすいと思うんですが、ちょっとわかりにくい例をあげるとすると、
ドーンと感情が重たくなっていて、息苦しく感じている。
これってまごうことなく「苦しみ」だと感じるじゃないですか?
だから、「苦しい」と思うわけで、この苦しみを取り除く算段を考えたりするわけですし、それがうまくいかない間はずっと苦しみの中にいると感じちゃったりする。

これもまた、感情を建前に置き換えてしまっているということだったりするんです。

・感情を建前に変換すると苦しくなる

つまり、僕らは感情そのものに苦しめられているというより、その建前という錯覚に苦しんでいることが多いんです。
本当の感情を認めることなく、「こうあるべきだ」とか「こうなんだ!」という思い込みによって生じた建前に従おうとすることがツラかったりするんです。

感情をそのまんまいさせておいてあげたらいいですよーってなことを、ここでもよく言っていますが、それは“建前をいさせてあげる”という意味ではないんです。

苦しみを苦しみとしていさせてあげるということではなく、
ちゃんと表現すると、
苦しみと思考が判断しているこの感情を、そのまんまにしておいてあげる。

ということなんです。

この苦しみはあくまで思考が判断したものに過ぎないというわけで、
そもそも、感情に貼るラベルには正解なんてないんです。

感情に貼りついたラベルは、その感情を表していないんですよね。
そしてなんと表現しようとしても、正解はないんです。

この辺りのことも、感情をそのまんまいさせておいてあげることで気づいてくると思います。
なんの判断も加えない、生の感情をそのまんまにしておいてあげることで、そのまんまを感じ取れてくるんですよね。

そうすると、どんな感情も起こるべくして起こっていて、それもまたかけがえのない愛しさがあるよねーってことに気づいてくるんです。

 

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