Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「ただ在る」を感じ、流れに身を任せる

はじめに

はーいどうもー。おはようございます。
みなさん、今日も在りますかー?そして「しています」かー?

ま、在るからこそ僕らって何かを「している」という錯覚を持つことができているわけです。

ついつい僕らって、何かを「する」というところばかりに注目しちゃって、「在る」ことを忘れちゃったりしてるんですよねー。

よく、人生は目標設定して、それを達成することで意味がある、なんて言説があるじゃないですか。
仕事も学校も人間関係も「なにかをしなきゃ」「努力しなきゃ」ってついつい急かされちゃったりしてねー。
そして焦れば焦るほど、どんどん不安になっていったりするんですよね。

せっかく目の前の空は青く輝き、心地の良い風が吹いているのに、
それを無視して、「何をすればいいんだー!」ってそっちばかりに気を取られてしまうのってちょっと勿体無い気がしますよね。

ちなみに僕、「パーフェクトデイズ」という映画が大好きなんですが、
その映画の主人公のおじさんは、朝、近所の人の掃き掃除の音で目が覚めるとさっと着替えて、ドアを開け、木々の美しさや空の美しさを味わいニコッとするんですよ。

このシーンがとても好きなんです。

朝起きて、空を見て深呼吸してみる。
これだけで「イノチ」って感じられるものです。
このイノチ。いわゆる生きているという実感こそ「在る」という感覚なんだなーって感じています。
僕らは常にこの「在る」という存在なんです。
この「在る」を感じてみると「する」ことというのはとっても小さなものだって感じられるかと思います。

・「ただ在る」を感じきる

窓の外の風景の風に揺れる木を見て、一つだけ揺れが少ない木があったとします。
そんな時に「あいつ、いまいち努力がたりないな」なんて普通は思わないですよね。
木々が風と戯れて、自然にダンスしているんですもんねぇ。

木々は、あるがままに、人生(木生?)の流れの中で、何かを努力しようとせずにちゃんと存在しそれを楽しんでいるだけなんです。

あらゆる自然がそのように展開しています。
鳥は飛ぶために努力しているわけではなく、ただ飛んでいまし、
川の水も、頑張って流れているのではなく、ただ流れています。

僕らだって、無理に何かを「しよう」としても、しなくても、
今までだって、必要なことは自然と起こってきたはずなんです。 

・流れに身を任せる  

何かをしようとしない。
なんて聞くと、やっぱりこれって「何もしない」ということなのか?って思っちゃいがちなんですが、そうじゃなくて流れに身を任せる。自然の流れにお任せするという感じなんです。

任せていると、大体は自然と「あ!こうしよう」がでてきてくれますのでその流れに任せればいいんです。

まだ出てこないなぁー。いつ出てくるんだろう??って不安になったりすることもあるかもしれません。
でも、それを考えるほど流れを邪魔しちゃいますのでね。
それよりは、「今」の感覚を味わっていたらいいんです。
お茶を飲んだなら、その味や温かさを感じる。  
歩いているなら、一歩一歩の感覚をあじわう。
すると自然と「今、ここにいる」という実感が湧いてくるってなもんです。  

・あなたは、すでに完璧な存在であーる

結局のところ、僕らは「しよう」としなくても、すでに完璧な存在なんです。
流れに身を任せていると、そもそも「許せない自分」なんて存在していないことにも気がついてくるかと思います。

そんな中で、ただ在ることを楽しむんです。  
時折、心がふっと軽くなる瞬間を感じられると思います。
この感覚こそ「イマココ」なんです。
そこにただ、在ってみたらいいんです。

 

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