Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「どうすれば?」の罠

はじめに

はーいどうもー!
おはようございます。
タクさんですよーっと。

悟りとか非二元とか、いろんな話がありますし、みなさんもいろいろと読んだり聞いたりしてきたかと思うんですけどねー。。

結局のところ、
「うん、話はわかった!ではどうしたらいいでしょうか?」
ってことが気になったりしますよね。

いやー、わかります。その気持ち。
だって僕らって、ずっと「どうすれば?」って考えて生きてきたわけですからね。
学校でも、仕事でも、恋愛でも、人生のあらゆる場面で「こうすればこうなる!」っていうのが当たり前だったわけでして、それがまるで当然だと思い込まされてきたわけです。

でもこの「どうすれば?」それこそが、一番の罠だったりするんですよねー。

・本当に何かが足りないのか?

つまり、「どうすれば?」って考えに取り込まれてる時点で、僕らはすでに何かを探してるんです。探すことで探求から抜け出そうとしているんですが、そのせいで延々と探究が続いちゃってるんですねー。

探求とは足りないものを埋める旅です。
何かが足りていない、だから何かをしなければならない、そう思い込んでいるんです。

ですが、
そもそも、本当に何かが足りていないんでしょうか?
本当に「何かをしなければならない」んでしょうか?
って、かなり疑わしいんですよね。

例えば、道を歩いているとしますね。
その時に、「どうやって歩けばいいでしょうか?」なんて思いませんよね?

ただ、歩いているだけですもんね。

人生の道というものも同じなんです。
ただ歩いているだけ。
もっというと、だれも歩いてすらいないんです。

・「何もしなくていい」という自由

本当は何もしなくていいんです。
ただ、歩きに身を任せていればいい。
僕らは今までもずっとそうしてきたわけです。ただそれに気づいていないだけだったんですねー。

この「どうすれば?」という思考のクセに気づいたとき、
「あれ?もしかして何もしなくてよかったのでは?」とふと気づくんです。

「何もしなくていい」とはどういうことか?

といいますと、これってちょっと誤解されがちなんですが、
「じゃあ、何もせずにボーッとしてればいいの?」ってことではありません。

「何もしなくていい」というのは、
「何か特別なことをする必要はない」という感じの意味なんです。

・すでにすべてはOKだった

「何かをしなければ!」っていうのがただの思い込みだと気づく時、自然とその思いが手放されます。
するとふっと自由になるんです。

「あれ、なんで今までこんなに頑張ってたんだろう?」ってな感じでねー。

もちろん、「頑張っちゃダメ!」ってことじゃないんですよ。
頑張りたいなら頑張ればいい。
頑張りが自然と起こるならそれに任せればいいんです。

自然に任せていると「頑張らなきゃ!」っていう思い込まなくてすみますし、
頑張ること自体が楽しくなるんです。

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

そのことに気づいたとき、
「ああ、そういうことだったのか!」と、ストンと腑に落ちるんです。

だから、次に「どうすれば?」って思ったときは、
ちょっと立ち止まってみてください。

「あれ?本当にどうにかする必要があるのかな?」って。

もしかしたら、そのままで、もうすでにOKなのかもしれませんよーん。

 

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