Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

見えているのは「本質」ではなく「状態」かもよ

はじめに

はーいどうもー!
おはようございます。
タクさんです!

さてみなさん、お酒の失敗ってありますか?
いやー、僕はねぇ。
ちょっと酔っ払うと調子に乗ってペラペラと話しだすというクセをもっております。
芸能人のお酒にまつわる不祥事なんかもよくニュースになりますよね。
でもそれで、仕事を失ったりすることもよくあることでして、お酒って怖いなぁとおもったりもします。

・ 酔っ払っていなくても「酔う」ことがある

さて、そんな酔っ払いを表す言葉に、怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸なんてものがありますよね。
お酒を飲むと普段とは違う感情が表に出やすくなるということだと思います。
でも、ちょっと考えてみると、お酒を飲んでないのに「酔っ払ってる」のと同じような状態になることって結構あると思うんですよ。

例えば、怒っている時。
もうムカムカして冷静な判断ができなくなる。
「なんでこんなこと言われなきゃいけないんだ!」「許せない!」なんて感情が爆発して、つい強い言葉を投げつけてしまったりね。
これって、お酒を飲んで感情的になっているのと、そんなに変わらないのかもしれません。

・SNSの喧嘩は「酔っ払いの喧嘩」

また、SNSを見ている時でもねー。
誰かの投稿を見て、「なんだこの意見は!間違ってる!」って思ってあれこれコメントをしたくなっちゃったりしてね。
それがこうじるとついコメント欄で喧嘩になっちゃったり。
そんな場面も目にしますよねー。

そもそも平常心だったら、「まあ、人それぞれだよね」って流せるようなことでも、つい感情に乗っかっちゃってるときは「これは正さなければならない!」ってなったりするんですよね。

酔っ払うことが平常心を失うことだというならば、これだって酔っ払うのと同じですよね。

・ 平常心を失うことは「酔う」ことと同じ

つまり普段怒りや悲しみに支配されて平常心を失うのと「酔っ払う」はある意味同じとも言えるかもしれません。

でも、酔っ払いはただの状態にすぎません。
僕らはついそんな状態を見て、それを本質だと錯覚してしまったりするんですよねー。
この辺りは要注意なのかもしれません。

本当は一時的な状態にすぎないのに、それをその人の本質だと決めつけてしまう。
これって、まさに錯覚なんです。

僕らの心って、天気みたいなものでして、
晴れの日もあれば、曇りの日もあるし、嵐のように荒れ狂う日もある。
でも、どんな天気も永遠には続かないんですよね。
雨が降っても、やがて晴れる。
イライラしていた気持ちも、時間が経てば落ち着くものです。

ですのでもし、平常心じゃないなーってかんじたなら、
「あれ、もしかして酔っ払ってる?」
って、一歩引いてみるといいかもしれませんね。

怒りや悲しみに支配されているとき、冷静な判断は難しい。
だからこそ、そんな時はひとまず「水でも飲んで落ち着く」のが一番。

SNSで熱くなってしまったときも、
「今の自分は、まるで酔っ払ってるのと同じだなー」と思ったら、ちょっと落ち着いて何かをするのをやめてみるんです。

もちろん、感情を持つこと自体は悪いことじゃないんです。
だって怒ることもあるし、悲しくなることもありますもんね。
これは悪いことじゃありません。

ただそれに乗っかって振り回されてしまっているのなら、
「お!酔っ払ってきた!」ということでちょっと落ち着いてみるといいんです。

また、僕らはつい感情に飲み込まれちゃうこともあるけど、それは「状態」にすぎません。
だから、「自分はダメだー!」と落ち込むのも違います。

他人に対しても同じで、僕らが見ているのは、その人の本質じゃなくて、その時の状態にすぎないんです。

自分のことも、他人のことも、みているのは「状態」にすぎないわけです。

そしてそれは人に限らず、僕らが捉えているもの全てが「状態」である、とも言えるのかもしれませんねー。

 

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