Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ストーリーの面白さ

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。

みなさんは子供の頃、親から絵本を読み聞かせてもらったりしましたか?
僕もよくしてもらったんですけどねー。

もしかしたら、あのころからストーリーという面白さにハマっていったのかもしれませんね。

目の前で起きているものもストーリーなら、そんなストーリーを文字にして保存しておける。
これはすごい発明だなぁと思います。
言語を使う動物はそこそこいるそうですが、言語によって作られたストーリーを保存しておける動物って聞いたことがないですからねー。

僕らは太古の昔からこのストーリーという魅力的な遊びに夢中になっているのかもしれません。

そういえば、うちの母親は一時期、絵本を読み聞かせるのではなく、自分のオリジナルストーリーを聞かせるという時期がありましてねぇ。

なんか細かい設定についてツッコむとどんどん話の展開が変わっていくんですよね。
これもまた、面白かったんですが、一体どんな心境の変化があったのでしょうねぇ。

まあそんなストーリーは面白いモノですし、何よりも解釈によってどんどん内容を変えていけるというのも画期的ですよね!

そしてまた、このストーリーの面白いところは、自分で解釈したストーリーを共有できる!という点です。

正義のストーリーを共有することで「俺たち、仲間だぜ!」みたいな気分も味わえたりしますからね。

ただ、厄介なのは仮想の正義を掲げることで、仮想の悪を作り上げてしまうってところでしょうか?

また、この先のストーリー展開いかんでは、自分は苦しい立場に追い込まれる!みたいな展開もあったりして、それをスリルとして楽しむのではなく、ただただ不安に押しつぶされそうになっているのなら、一旦このストーリー遊びは中断したほうがいいのかもしれません。

ストーリーをストーリーとして嗜んでいるうちはそれでもいいのでしょうが、僕らの困ったところは、いつしかこのストーリーを真実と錯覚することで、作り上げられた不安や苦悩に苦しんでしまうというところにあるのかもしれませんね。

ごめーん。今はちょっと読み聞かせはいいや!

僕らはある種中毒のようにこのストーリーを無条件に受け入れてしまってますからねー。
まずは、一旦、ちょっとストーリーをお休みしてみること。
「今はちょっと読み聞かせはいいや!」ってね。
ストーリーなしでただただ今の感覚を味わってみればいいと思います。

最初のうちはストーリーこそ真実だ!という錯覚があるのでなかなか抵抗があるわけですが、お休みしたところで何も困らないですからねー。

テレビや動画を消した時、最初はちょっとこの静けさに物足りない感覚を感じたりするモノですが、別に何も困らないのと同じです。

また、絵本の読み聞かせの場合は、やっぱりおねだりをしたうえで、
「さあ!始めましょ!」ってのがあるじゃないですか。

映画だって、最初はよくわからんCMが流れた上で、東映だとかワーナーブラザーズだとかのロゴが出てきて、いよいよ始まるぞ!という準備があってストーリーが始まるわけです。

ですが、思考ちゃんのストーリーは自然にうまーく溶け込んだ上で始まったりしますからねー。
ついつい無意識にストーリーに入り込んでいっちゃったりするわけです。

ですので、まずは思考ちゃんのストーリーが始まったなら、
「お!読み聞かせが始まったぞ!」ってね。
ちょいとツッコんでやればいいと思います。

その上で、
「ごめーん。今はちょっと読み聞かせはいいや!」ってね。
断ってあげればいいんです。

 

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