Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ありとあらゆるところに奇跡が宿っている

はじめに

はいよー!
タクさんです。

大自然を目にしますとね。
もうこれって、誰かが選択して決めているなんてありえない!って思いますよねー。
だって、誰かが太陽を昇らせてるわけじゃありませんもんね。

でも、そんな太陽が日を照らし、雲が巻き起こり雨を降らせ、川が流れて風が吹く。
太陽の光と雨の恵みで大地は芽吹き、僕らに恩恵をもたらせてくれるわけです。

僕らの体の機能一つとってもそのメカニズムは完璧に作用しているわけで、これは偶然とも思えないわけです。

そんなのまるで、精密な時計を分解し、そのパーツを袋に入れてブンブンと振り回したら偶然時計になりました。みたいなことですからねぇ。

そんな意思があるように見えて、誰も何もしていない。

誰かが選択しているでもなく、誰かがコントロールしているでもなく、でも完璧にあらゆるものは精巧にプログラムされている。

もうね。
これこそ奇跡ですよね!
スゴいっす!

そういえば、蝶々って幼虫からさなぎになるじゃないですか?
その時に一旦全て液体になるんだそうです。

目や口、足なんかも全部溶けて液体になって、さなぎの中で蝶の形になるわけなんですけどね。
とある学者さんが、実験をしたそうなんですが、一旦全部液体になってリセットされているにも関わらず、成虫になった蝶は幼虫の頃の記憶を覚えているんだそうです。

え??どゆこと???
ってなりますよね。

記憶があることは発見できたけど、どういうこと?というのはわからないんだそうです。

そもそも、僕らの体の中のことなんて、まだまだほとんどわからないことだらけですもんねー。
なんでこんなに完璧に機能してるん?というのはわからないけど、誰かがそれをコントロールしているわけでもないっていうね。
そんな奇跡があちらこちらにゴロゴロと存在しまくっている!

これがこの世界なんですよね。

この世は奇跡

そんな世界を目の当たりにしつつも僕らはさらに「自分」という体験・経験もできるわけです。
そんな自分をストーリーで演出したりしてね!
これもまた奇跡的なものなんですが、やっぱりこの「自分」や「私」も誰かが選択したりコントロールしているものではないんですよねー。

とはいえ、選択したような演出は加えられているわけです。

「んー。どうしようかなー。どっちが良いかなぁー」
と迷ったあげく、
「よし!こっちにしよう!こっちに決めた!」
と選択をする。

これもね。
「私」が何かを選択したのではなく、「私が選択した」という体験・経験をしているんです。

実際には選択はしていないんですよね。
この辺りもまた、この世界の面白いところです。

つまり、「私」や「自分」は体験・経験として起こっていて、この体験・経験は誰のコントロールも受けていないんです。

この感覚が目覚めてきますと、
今までなんてことないと見逃していた今の奇跡も奇跡として蘇ってくるかもしれません。

その辺に落ちているタバコの吸い殻、なんてことのない車の方向指示器の点滅。
赤から青に変わる信号。

この全てが、イノチの躍動として動いているんです。
イノチの躍動は全てに存在し、その全てが奇跡的なんです。

日本に伝わる八百万神(やおよろずのかみ)。
これはありとあらゆるものに神が宿るという教えですが、まさにありとあらゆるところに奇跡は働いています。

意図があるとしか思えない全ての働きが、誰のコントロールもうけずに機能しているんです。

そして、この「私」もまたそのイノチそのものとして機能しているんです。

 

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