Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今ここにただ在ってみるということ

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

皆さんは、起業をしたことがありますか?

僕はねぇ、起業!っていうほど大袈裟なものじゃないんですが、
小さなデザイン事務所を営んでいたことがあるんですよ。

でね。
ここでおかしいのが、やっぱり会社に名前をつけるじゃないですか。
みなさん、思い思いにいろんな名前をつけてますよねー。

なんかねー。これがちょっとオモロイなぁって感じるんですよねー。

なんかほら、子供の頃に自分たちのチームをつくって名前をつけるようなそんなノリと一緒じゃないですか。

俺たち「ずっこけ三人組!と」か、僕たち「少年探偵団!」みたいなね。

なんかそんなノリですよねー。

これをなんか不思議な顔ひとつせず真剣な面持ちで大人たちもやってるというのがちょっとオモロイですよねー。

しかもね。
自分で会社の名前とか考えて営業を始めると、その会社名宛に電話がかかってきたりするんですよ!

例えば、「プリプリプリン!」なんて名前をつけたとしたら、
もしもし!プリプリプリン様でいらっしゃいますか?
プリプリプリンのタクさんはいらっしゃいますでしょうか?

とかねぇ。
真面目な声で言われたりするんですよ。

内心、
「あー大人のくせに、プリプリプリンとか言ってるー。それワシが考えた名前なのにぃー」
って思ったりするんですが、

これ、諸刃の剣でして自分も誰かがつけた名前に乗っからずにはいられないんですよね。

・違和感を見て見ぬふりしている。

この違和感というのは、無いものを有るかのように扱うところにあるんでしょうかねぇ?
ただこの違和感に似た感じのものを、小さい頃はみんな持ってたんじゃないかなーって思うんですよ。
元々は、時間の概念も言葉の概念も、さらにはお金の概念も持ってなかったわけですからねー。
そんな中、そういうのを教わったり習慣づけられてくることによって、
元々は、あえてそういうことにしていたということをどこか忘れてしまうんです。

朝起きて、いきなりみんな朝ごはんを食べる!
昼になったら集まってみんなで昼食を食べる!

とかも、やっぱり変ですもんねぇ。

他の動物でそれやってるのをあまり見たことがないですもん。

ランドセルだってそうですよ!
僕、初めてランドセル見た時、「なんじゃこりゃ?」って思いましたもん。

でも、この「変だ!」が徐々にかき消されて普通になっちゃうんですよねー。
違和感が忘れ去られていくんです。

僕らが見ているいわゆる思考の世界ってそんな感じなんです。

・今ここにただ在ってみるということ

名前の違和感や、時間の違和感、私や私以外という違和感は徐々に薄れていき、そのうち思考の世界に置き換えるという違和感も薄れ、そしていずれは忘れ去られているんです。

この「思考の世界に置き換えている」ということをね、もう一回思い出すことで、ああ!そうだったそうだった!ってなるんです。

よくよく見てみると、やっぱりちょっと滑稽なんですよね。
この思考の世界って。

そんな滑稽さも思い出されていくことで、
元々無いものを「有る」かのように扱ってきたことを思い出すんですよねー。
いわゆる気づくというのも、最初はそんな感じかもしれません。

そして、元々あったなんでも無いダイレクトさにどしっと腰を下ろしていると、
徐々に体の節々に感じていた緊張感も解けていくんです。

そのうち、これも「私」がやっていることではなく、誰かがやっているわけでも無い。
起こっているかのように見えて、起こってすらいない。
全ては大安心の元、ココに在るってことに落ち着いていくんです。

ふぁ〜、、、。って感じですよね。
そこにただ、リラックスして在ってみましょう。

 

 

takuteto.hatenablog.com