Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考が幻想だってちょっとよくわからないよね。

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。

さてみなさん。
ちょっと頭の中で、「赤!」ってつぶやいてみてもらえますか??

「赤!」

ありがとうございます。

その上で、さらっと周りを見渡してみてください。
するとなぜか自然に赤色のものに目が向きますよね。

これ、
「青!」でもそうなんです。
頭の中でつぶやいただけなのに、なぜか目も頭のつぶやきに沿ってついつい誘導されちゃうんですよねー。

面白いものです。
頭のつぶやきって、なんの現実性もないただの妄想なのに、
僕らの身体はこのつぶやきに誘導されるんです。

まるで、催眠術のようでもあります。

ま、この仕組みこそがいわゆる「引き寄せ」と呼ばれるものなんです。

だから、頭の中のつぶやきは良いものに変えよう!ということが言われているわけなんですが、そうすると今度は、良い!悪い!にこだわっちゃったりしてね。

「あ!今悪いことつぶやいちゃった!治さなきゃ!」
って自分は治さなきゃいけない存在にしてしまったり、

「つい悪いことばかり考えちゃう。自分はダメだなぁ。」
と思っちゃったりしてね。

結局、思考を制御して見える現実をコントロールしようとしても、ミイラ取りがミイラになる。みたいな感じで、逆に思考への執着が増すことで思考に取り込まれてしまう。

なーんてことになったりもするわけです。

引き寄せというのもまた、ありもしない枠に自分を閉じ込める一つの観念に過ぎないというわけですねー。

 

・思考が幻想ってちょっとよくわからない

でね。
この界隈でも、思考って幻想だよー!事実を思考というフィルターで捻じ曲げてるんだよー!
みたいな話をよく聞くと思うんですけどね。

ちょっと、いまいちよくわからないという方もおられるかもしれません。

なので、話題をこの「赤!」ってやつに戻しますが、
これ、よーくみるとおかしくないですか?

「赤!」ですよ。

よくみてください。この「赤!」の色。
黒いですよねぇ?

「赤!」と書かれている文字は黒として見えているはずですよね?
にも関わらず、「赤!」とつぶやいたら、身の回りの赤い色を追ってしまう。

これ、捻じ曲げてますよね?

黒なのに赤に捻じ曲げてるというわけです。

これが、事実を思考のフィルターを通して幻想の世界に置き換えてるよ!
ということなんです。

・感覚を感じ切るというのはこんな感じだよ

思考ってある種、無機質じゃないですか。
手触り感がないですよね。

いわゆるデジタルと似ていると言えるかもしれません。
実際に手で触って、匂いを嗅いで、その感触を感じているというものではないんです。

そんな思考の世界にどっぷりと使っていると、無機質な世界観に侵食されてしまうんです。

だから僕らって、休暇にはバカンスとか言って、ちょっとした自然を感じられるところに足を運ぶのかもしれません。

ですが、わざわざ休みをとって田舎に出向かなくても僕らはこの生の感触をいつも常に感じているはずなんです。

ただ、その感触を掻き消すかのように思考の世界観に置き換えているだけなんです。

感覚を感じ切るというのは、感覚を分析することではありません。
ただその感覚に在ってみるだけで良いんです。分析はいりません。

感覚を感じるのに正解も間違いもありませんよね。
だから、これであってるのかなぁ?と、気にする余地すらないはずなんです。

そして、これが全てです。

僕らの喜びはこの感触を味わうところにあるんです。
だから僕らは、美味しいものを食べたいし綺麗なものを見ると感動するわけですもんねー。

良いも悪いも置いておいて、ただ感触を味わうと、喜びも至福もその全てが、今ここにあると実感できるんです。

 

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