Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あ、こっちが本質だったんだ!

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。

火を眺めたり、空の雲を眺めてるのって良いですよねー。
僕らって、これには意味がある!っていうことをやってる時ってちょっと前のめりになってるじゃないですか。
だからちょっと力が入っちゃうんですよねー。

ですが、実際のところ意味があることに重要性なんてないんですよね。
だから意味あることに囚われすぎちゃって疲れてきたなら、
意味のないただの雲の流れや、パチパチと燃える炎、風に揺れる木々をボーッとみていると、
そもそも重要じゃない意味あることから解き放たれ、
なにやら身体の芯から綺麗にクリアリングされるような気分になります。

どうぞみなさんも、雲を眺めてクリアリングしてみることをお勧めします。

ま、クリアっていうのは、何からクリアになるのか?というと、
いわゆる思考の世界からクリアになるということなんです。

思考って結構エネルギーを使いますので、
あれこれと思考の世界に入っているだけで知らず知らずのうちに消耗してるんです。

だって、僕らが普段思考を通してみている世界は、
舞台設定があり、主体と客体があり、様々な判断基準によっていろんなことが裁かれて、
その上でストーリーとして流れ続けてるんですからねー。

そんなことをずっと自分で創ってはそれを体験するってことをやってるわけです。
そりゃー消耗しますよね。

だからこそ、暇さえあればボーッとして癒してあげるのをオススメします。

でね。
ボーッとしてそろそろ現実に戻らなきゃってまた頭の中のストーリーに戻っていくわけなんですが、本当のところ、事実はこのボーッとしてる中にあったりするんです。

「あ、こっちが本質だったんだ!」

ってことなんですねー。

 

・最も消耗する苦悩の世界

なんて事のない思考の世界に入ってるだけで消耗するわけですから、苦悩の世界に入っている時はもっともっと消耗してしまいます。

苦悩のパターンでよくあるのが、「自分はダメだ!」「自分は足りない」という錯覚に苦しめられているというパターンなんですね。
でもなぜ、自分は足りないなんて思いがでちゃうんでしょうねぇ。

それは、自分が判断をして物事を進めていかなければならない。
という信念っぽい思い込みがあるからではないか?
と思うんです。

そうなると、
自分が持っている判断材料が足りないと心許なく感じますもんね。

さらには、何かしらの基準を他人と比べる事でもやっぱり「自分は足りない」と感じたりしますもんねー。

さらには、過去にあった手痛い失敗もまた、
自分の判断が誤っていたことに原因があると思い込んでしまって、
常に自分は間違っていないか?と心配になっちゃったりするものです。

そうやって、「許されていない自分」「足りない自分」というありもしないイメージを作り上げちゃうんです。

・あ、こっちが本質だったんだ!

そしてこの「許されていない自分」「足りない自分」というイメージを妄想することによって、まるで目の前に本当にそんな自分が存在するかのような世界観を作り上げてしまうんです。

するとね。
素直な僕らの体は、その妄想の世界観の危機に反応してしまって防衛反応を起こすんです。

ほら、
筋肉隆々で体にたくさん絵が描かれている人が闊歩する夜の六本木なんかに行くとやっぱり緊張するじゃないですか。

そんな緊張感が起こってしまうんですよねー。
危ない目にあいそうだから逃げる準備をしているわけです。

でもその危ない世界が六本木ならさっさと用を済ませて帰ればいいんですけどね。
それが妄想の世界だとしたなら、逃げようがないんですよね。
だって無いんですもんねぇ。

だから逃げようのない苦悩から逃れられずに僕らは苦しめられたりするわけです。

怖い動画なんかをみていて、あまりにしんどくなったとしたら普通は動画を止めて一旦落ち着きますよね。
僕らは怖い動画を見ているのと同様に思考のイメージをみて消耗しているんです。

だから、ボーッとしてホントの事実に戻ってきてリラックスすれば良いんです。
ただこの事実に在ってみることで、
「あ!こっちが本質じゃん!」という当たり前のことに気がついてきます。

そもそも自分が何かを判断しているわけでもなけりゃ、
あらゆる判断に正しいも間違いもなく、それは反応のように起こっているだけだったんです。

 

 

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