はじめに
はいどうもー!
小学校の時は学校が決めた時間ではなく、
自分時間で登校していたタクさんです。
ただ、自分時間で投稿すると、正門からはなかなか入りづらくてですねぇ。
運動場を突っ切って校舎に行かなきゃいけないんですが、全クラスから丸見えになるんですよね。
ですので、給食の業者が入ってくる裏手の門を開けて入るのが通例になっておりましたねー。
ちなみに、家に帰るのも自分時間でして、
帰るとまずは家の電話線を抜くのがルーティンでしてね。
これをやっておかないと学校から電話がかかってくるんですよねー。
そして、荷物を置いてまた遊びにいくと。
なんかそんな毎日を過ごしていたのですが、
やたらと先生が怒ってましてねぇ。。。
唇を震わせて怒るので、それがおかしくてたまらなかったのをよく覚えています。
葬式で笑うのを我慢するシチュエーションってよくありますが、
怒られてる時に笑うのを我慢するのもなかなか大変なんですよね。
泣いているフリをして誤魔化すこともよくありましたが、
こうやって思い返してみると、小学生時代は制約も多くて大変だったなぁという思い出です。
皆さんの子供の頃の思い出はどんなだったでしょうか?
・
まあ、そうやって思い返してみると、
僕らって子供の頃から、
「大人になったら何になりたい?」ってやたら聞かれましたし、
学校が始まると、
良い成績を取ることを目標に据えられて、そのレースに強制参加させられたりしてねー。
いろいろと大変でしたよね。
僕は、この目標ってのがいまいちピンと来なくてですねぇ。
ずっと目標を聞かれるのが苦手なんですよね。
だって、本音を言えば、
別に成績なんてどうでもいいし、大人になった時のことなんてわからん!
ってことですもんねぇ。
となると、目標を聞かれた時は、
期待される答えに沿わなきゃいけないんじゃないか?
ってねー。気を使わなきゃいけないんですよね。
学校で聞かれたなら、いい成績をとる!とか言わなきゃいけないですし、
大人になったら何になりたい?と聞かれたなら、なんか子供らしいウィットに富んだ答えを返さなきゃいけないですしねぇ。
ま、僕はというと、鳥になる!とかウルトラマンになる!とかよくわからんことを答えてましたが、、、。
そもそも、目標なんてどうでもいいことですもんねぇ。
「今がその目標じゃいっ!」って感じたりもしますしね。
・自分を満たすという幻想
まあでも、いつしか僕らは何かしらの目標を持ち、その目標に希望を見出し、そして目標に向かっていくための手段を見つけ出して進んでいくうちに自分が満たされていく。
っていうねー。
妙な幻想にハメられていったりするんですよね。
「目標や希望を持ち、そのことで活力が得られて、そこに向かっていくごとに自分が満たされる。」
っていう幻想です。
そしてそれがまるで当たり前かのように疑問にも持たなくなったりするわけです。
すると、今度は変なことに、
「目標や希望がないと、自分を満たす手段もなくなってしまう。」
みたいなね。
妙な幻想も植え付けられたりするんですよねー。
これって変なんですよ。
だって元々何も変わってないのに目標を見つけると自分が足りなくなってしまう。
そして、この足りなさを埋めることで満たされるっていう形じゃないですか。
そもそもなかった「足りない自分」を作ってそれを埋めることで満たされることにしてるんですもんね。
自分で穴を掘って、埋めるというのと同じでして、
そもそもどこにも「満たされない自分」なんて存在してないんです
もちろん、目標や目的を持って遊ぶのは面白いからいいんですけどねー。
ですが、その目標が達成できないからといって、自分が満たされないってのは錯覚ですし、
目標がないから自分が満たされないなんてのも全然関係ないんです。
すでに自分は満たされています。
その中で、遊ぶかリラックスするか、好きにすればいいんですよね。
もし、自分が満たされていないと感じるならば、満たされないという錯覚をどこかでみているということかもしれませんよー。