Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らはどう生きれば幸せになれるのか?

はじめに

はーいどうもー。
タクさんです。

さて、僕らホモサピエンスに属する人類って、今までの累計だと200億人くらいしかいないんだそうです。
意外と少ないですよねぇ。

ちなみに今現在の地球上の人口は、80億人だそうです。

ホモサピエンスは40万年前からいることを考えると、今現在の人口が40万年の累計の半分近く存在するということになっておりまして、これは流石に増え過ぎのような気もします。

ちなみに、もう今は滅んでしまっていますが、他の種族の人類も合わせると今までの累計で1000億人くらいいるそうでして、それでもその10%近くが今現在生きていると考えると、なんだか今の人口ってすごいことになってるんだなぁ〜と感じました。

いま、世界中で人口減少の問題にぶち当たっているようなんですが、
さすがにここまで増え過ぎた人口をさらに増やすことよりは、うまく良い感じに減らしていくほうが自然に則ったことなのかもしれませんね。

知らんけど、、、、。

 

・僕らはどう生きれば幸せになれるのか?

さて、そんな人類の共通の望みはやっぱり幸せになることですよねー。
そして、幸せになるためには、そのような生き方をしなければならないはず!
って思うものです。

だからこそ、ぼくらはこの人生をどう生きれば良いのだろうか?
というところに興味津々なわけでございます。

僕も若い頃から、この「人生はどう生きれば良いのか?」という問いにすごく興味を持っておりまして、その答えは絶対に歴史の中にある!
って思ってたんです。

だって、いろんな人たちが、人生を生きてきたわけですからねぇ。
絶対にその中に答えかもしくはでっかいヒントが隠されているはずですよね。

ですので、歴史にすごく興味を持ったんですよねー。

大学の頃はせっせと図書館に通い、歴史書を読み漁ったものでした。

特に中国の歴史書である史記は、人の生き様がテーマになっておりましたので、
とても興味深く読んだことを覚えています。

ただねぇ。
やっぱりよくわからなかったんですよねー。

志半ばで死んでいく人。
あらぬ罪を着せられ無念の中で死んでいく人。
良い行いをして人に愛され天寿をまっとうする人。
良い行いをしたのに、食うものも食えずに餓死する人。
逆に悪の限りを尽くし贅の限りを尽くし、それでいて天寿をまっとうする人。
天下を取り全てを手に入れても人間不信と疑いの中、苦しむ人。

と色々いるんですけどねー。

結局答えがないんですよね。
わからんのです。

・気づき

そんなこんなでわからんままだったんですけどね。
30代のころに、あれよあれよといろんなことがうまくいかなくなってきたんですよねー。
着実に積み上げてきたと思っていたものもガラガラと全部崩れ落ちるかのような経験もありましてねぇ。

そこでさらに、「人はどう生きるべきか?どうすれば幸福を得られるのか?」への渇望が大きくなり、切羽詰まってきたんです。

まあそこであれやこれやといろんなことがありまして、結局救われたのは、
「そんなものはない」
という気づきだったんです。

・わからんが正解

どう生きるべきか?なんてことはわからないですし、得られる幸福なんてものもないよねー。
ってことだったんです。

これって一見絶望にみえますけどね。
これこそが福音だったんです。

どう生きるべきか?なんて答えはないし、わからないものなんですが、
幸せならずっとここにあるよ!
ってことだったんです。

幸せがここにあるんなら別に生き方に答えを求めなくても良いんですよね。

だから、「〜べき」からも卒業できるんです。

海の表面がどんなに荒れ果てていようとも、深海の奥深くでは静かで平和なものだったんです。

自分の表面上では荒れ果てているかのように見えますが、
自分の奥ふかーくではずっと静寂に満ちていたんです。

 

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