はじめに
はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。
みなさん、いい夢を見ていい目覚めをされましたでしょうか?
さて、「胡蝶(こちょう)の夢」というお話をご存知でしょうか?
中国の宋の時代の荘子さんという方が作った物語というか、説法の一つなんですけどね。
どういうお話かと言いますと、
夢の中で、どうやら蝶になってたらしく、ひらひらと飛んでいたところ目が覚めたわけですが、はたして、いま目が覚めたと思っている自分が夢なのか?もしくは蝶になった自分が夢だったのか?
といったお話です。
このお話の意図としては、蝶になってたならあなたは蝶だし、普段の自分もまた自分自身だよね。
夢だから蝶は自分ではないということじゃないよねー。
といったお話です。
ま、そりゃそうですよね。
普段の自分にしたって自分の中の思考イメージで作られた自分であり、夢の中の蝶にしたって、思考イメージで作られた自分なんですからねー。
そのどちらも自分だというわけです。
そして、どちらの自分もイメージの中にしか存在しない。
つまりは、イメージだということですねー。
では、イメージで作られたものではない、本当の自分はどこにいるのか??
って話になるんですが、いないんですよね。そんなのは。
というよりは、自分という「枠」が存在しないって感じでしょうか?
・蝶は目覚めたら蝶ではなくなる
そもそもの話なんですけどね。
夢から目覚めるのは誰なのか?って話なんですけどね。
これ、自分じゃないんですよ。
胡蝶の夢でいうなら、夢の中の蝶が目覚めたなら、目覚めた後も蝶のはずじゃないですか。
だって、夢の中の自分は蝶だったはずですもんねぇ。
ですが、この蝶は夢の中のイメージの一つなので、蝶はこの夢から目覚めることはできないんです。
つまり自分とはイメージの中で作られた幻想なんですよね。
ですので、この自分が夢から醒めることはないんですよ。
夢の中でしか、存在し得ないんですからねー。
・悟る誰かはいないし、目覚める主体者というものもいない
悟りだとか目覚めというのも実はそういうことでしてね。
悟る誰かはいないし、目覚める主体者というものもいないんです。
そもそも、主体者自体が幻想なんですよね。
主体者だとか、主体というのは思考のイメージをストーリーにする時に作られる概念に過ぎないんですねー。
ですので、あなたが悟ったり目覚めたりすることは無い!
ということなんです。
ほら、
ついついこういう話を聞いちゃうと、自分もどうやったら悟れるんだろう?
どうやったら目覚めることができるんだろう?
本当にこの現実が夢だというのなら、さっさと目覚めて見たいよ!
って思っちゃうじゃ無いですか。
そして、目覚めるきっかけを探し求めるわけですもんねー。
そこで、目覚めたり悟ったりする誰かは存在しないし、
そもそも、私もいません!
とか言われちゃうと混乱しちゃうんですよね。
じゃあどこを探せばいいのよ!
って話でねー。
・なんでも無いものが目覚める
ですが、そもそも「自分」というものは夢の中に出てくる蝶のようなものなんです。
ですので、その「自分」をなんとかしようとしなくてもいいんですよね。
ついでに言うなら、
なんとかしようと思ってるのなら、その思いをなんとかしようとしなくてもいいんです。
「あるがまま」を「あるがまま」にしておいたらいいんです。
そうすると徐々にあるがままがあるがままとして目覚めてくれるんです。
誰かが目覚めるでもなく、なんでも無いものが目覚めるんです。
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