はじめに
はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
僕らってね。
やたらと境界線にこだわってたりするじゃないですか。
子供の頃、友達や兄弟、姉妹で隣に座ってたりしたら、
ここからこっちは私の領域だからそこに入ったらダメ!
あ!今ラインを超えた!
とか言いながら小競り合いとかしませんでしたか?
世界の国同士も、このラインが国境だー!
いや、こっちのラインこそ正しい国境だー!とか言っちゃったりしてあれこれやってますもんね。
はたまた、
「お前は言っちゃいけないラインを超えたぞー!」
ってケンカになったりしてねー。
なんでしょうね?
この境界線っていうやつは。
そして、実際にこの「線(ライン)」を見たものはいない。
ってのも面白いですよね。
国境のラインにしろ、県境のラインにしろ、
そんな線はどこにもないんですよね。
海辺の砂浜なんかに行っても、近づいてみたら海岸線なんてものは無いことに気づけると思います。
だって、波が押したり返したりしているわけですからねぇ。
そうなんですよ。
この世にそもそも境界線なんてものは無いんですよねー。
にもかかわらず、僕らはこの境界線に異常にこだわりをもっているという種族でもあるんです。
だからやたらと、線を引きたがるんですよね。
・線引きへのこだわり
ホント、僕らって「線引き」が好きですよねー。
なんか、どんぐりが好きなリスみたいで可愛らしくもあるわけですが、
ただ、「線」って食えないですからねぇ。
そんな食えない「線」になにをそんなにこだわってるのか??
と不思議に感じたりもします。
ひとつには、この「線」にはある種のルールが存在しているからと言えるかもしれません。
ルールとはまさに思考の幻想の一つなんですが、ぼくらは思考の幻想を共有するという習性を持ってますからね。
そのときに、どんな思考のストーリーを共有するのか?というのは思考にとってはとても大事なものなのかもしれませんね。
ルールを共有する際、やっぱり自分にとって不利なルールは嫌ですからねぇ。
※この場合の自分とは思考ちゃんの中にいる自分です。
思考ちゃんの行動原理のひとつとして、思考の中にある自分をより良くすることがありますから、やはり自分にとって良い条件の線引きを求めるわけです。
縄張りなんかもそうですよね。
だからやたらと「線」にこだわるんじゃないか?と感じたりもします。
・幻想の境界線
ま、そんなこんなで僕らは自分の線引きを人と共有して遊んでいるというわけです。
そうやってできるのが境界線です。
あらゆる線引きをして、本来は分かれてすらいないものを分けて、
分けることで「分かった!」ことにしているんです。
そんな「分かった!」をたくさん集めれば安心できると思ったりもしてるわけなんですが、
実は集めれば集めるほど安心から離れていき、窮屈になったりするんですよね。
でも、そんな線引きは無いんです。
この線引きにこだわっている間は、思考に巻き込まれているとも言えるわけです。
実際にその線を探してみればよくわかります。
だって、そんな線はどこにも引かれていませんからね。
一切の線引きもない。分離すらないということをしれば知るほどに、
線引きという鎖から解き放たれます。
知らないうちに自分をいろんな線引きに閉じ込めていたことにも気づいていくんです。
そのうち、
「うほー!このまんまでよかったんだー!」
ということを知るほどにあらゆる線引きは消えていき、ここにあった安心があらわになるんです。