Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

言葉の呪縛

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

子供の頃ってねー。
やっぱ親の存在って結構でかいじゃないですか。
ですので、子供の頃に言われた親の言葉って結構残ってたりするんですよねー。

べつにこれ、親が悪い!とかそういう事じゃないんですけどね。
ただ、小さい時に親に言われた事が結構引っかかってるというのなら、
もうその言葉の有効期限はとっくに切れてますので、
今は全く関係ないんだよーということをちょっと心の隅に置いておいてもらうといいかもしれません。

さて、そんな親の言葉なんですが、
僕の場合は、
「あんたの笑い顔、不細工やなぁ〜!」
が結構残ってるんですよねー。

ですので、笑い顔が結構苦手なんです。
なので、写真に映る僕の顔は大体がしかめっつらです。

これもある種の言葉の呪縛といえるのかもしれませんね。

また、ヤクザみたいな怖い人に
「あんた、今後夜道を歩く時は後ろに気をつけなよ!」
とか言われたらいやですよねー。

これもね。
言葉の呪縛に引っ掛けようとするおどしのテクニックなわけです。

そんな時は、
「うほっ!言葉の呪縛きたぁぁぁー!」
「くぅー!しみるぜ!」
ってな感じでノリノリにかわしてしまいましょう。

 

・言葉の呪縛

ま、そんな感じで僕らはついつい言葉に縛られる事ってあるんですよねー。
ここに書いている非二元の言葉もそうです。

非二元のお話は、基本的に無意識に掴み取っている思考や言葉のもつれをパッと解き放ち、
手ぶらのなーんにもない「今」にいざなうものなんですけどね。

時にそんな言葉を掴み取ってしまい、その言葉に縛られるというパターンもあったりしますので、そんな時はもうあれこれと考えずに置いておくことがいいと思います。

元々言葉というのは思考のストーリーを紡ぐ材料ですのでね。
思考の及ばない「今ここ」のことを言葉で説明するというのは無理があるんです。

非二元のお話をするのにどうしても言葉を使わなきゃいけないというパラドックスが存在するわけなんですが、こういうお話は、楽になったならリラックスする。わからんならわからんままにしておいてあとは流れにお任せしておく、というのがコツなんです。

だから、非二元のお話は今までの思い込みがスッと解けるなら解いてあげたらいいんですが、
「うーん、、、わからん、、、。」
と唸ってしまいそうになったなら、ここで分かろうとはせず、わからんままに在ってみるのがいいんです。

「私はいない」とか「時間は存在しない」とかはっきりいってわかりませんよねぇ?
もし、「私」という観念に完全に囚われてしまっている時は、
「はっ!!!」ってな感じで、私が「私」としているものってめちゃくちゃ作り物だったんじゃん!
なんでそんな作り物にこだわって苦しんでいたんだろう!!
ってな気づきもあったりして、そういう時は、そんな「私」という言葉の呪縛から解き放たれるわけですが、
ここで、「うーん、、、わからん、、、。」と意味を追ってしまいそうになったなら、
「もうわからんままでいいよーん」ってかんじで早々に白旗をかかげてあげましょう。

・言葉は分離のストーリーを作る材料

本来は、分離なんてものは存在していません。

ですが僕らは言葉を覚えることによって分離という概念を同時に掴み取ってしまっていますのでね。
なので、言葉で何かを理解しようとしている時って何かを分離しようとしているということでもあるんです。

ですが、この分離自体が夢みたいなものですのでねぇ。
実体がないんですよね。

ですが、思考はこの分離から逃れることはできないんです。
思考自体が分離を元にストーリーを作り上げる働きですのでねー。
思考と言葉はセットになっているんです。

なので、この思考と分離が夢みたいなものなんていわれたら、思考自体は「どういうことだ?」と考えを進めたくなったりするんですが、それは終わらない探究に巻き込まれるだけなんですよね。

なので、分からんままに在ってみたらいいんです。
分かることをもう諦めちゃうんです。そんなもんはお任せしておけばいいんです。

あとはリラックスしてゆったりと構えていたらいいんです。
感じる感覚を感覚のままに味わってれば、もうここで全ては完結していることを身を持ってじわじわとわかってきます。

あるがままで完璧だし、ココにこそガッツリとエネルギーに満ち満ちていて、それでいて安堵で静寂なんです。

 

 

 

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