Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ついついやっちゃうこと。それはあなたの才能かもしれません

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

にしても最近は、
まるでマンガ!いやマンガでもありえない!
ってな活躍をしてくれる日本人がたくさん出てきていて面白いですねー。

野球の大谷さんだって、あんな主人公を漫画にしたら、打ってもすごいし投げてもすごい!
そんなスーパースター、いくら漫画だからといってちょっと現実味なさすぎるよー。
って言われそうですし、

ボクシングの井上尚弥さんにしたって、いろんなボクシング漫画の大活躍を超える歴史に残る大活躍ですし、
将棋の藤井さんもすごいですもんねー。

確か将棋の漫画でいくらなんでも現実離れし過ぎていると叩かれてたマンガがあったんですが、藤井さんの活躍はその漫画の活躍を凌駕してしまうなんて自体も起こってますからねー。

いやーホントすごいっす!

でももし、
野球の大谷さんが将棋をやってもきっと自身の才能をいかせなかっただろうし、将棋の藤井さんがボクシングの世界で生きなきゃならない!となると、やっぱり才能をいかせないってことになるんでしょうねー。

才能を活かせないのってやっぱりちょっともったいなく感じますよね。

でもね。
もしかしたらあなた自身も、自身のせっかくの才能を潰しているかもしれないとしたらどうでしょう?

えー!そんなん、もったいなーい!
って感じますよね。

と、いうわけで、これってもしかしたらあなたの才能かもしれないよ!
という、自分で隠してしまったり、潰してしまっているかもしれない才能のお話について書いてみたいと思います。

 

・才能は楽しい事とは限らない

普通に考えると、自分にとって才能があることっていうのは、
「そりゃーやってて楽しいことだし、やりたいと思うことだよなー!」
って思いますよね。

それが当たり前って感じがしますもんね。

もちろん、そりゃそうなんですが、実はそうじゃないパターンもあるんですよ。
しかも自分の才能が隠れているところが、自分が嫌いな自分の中にあるパターンもあるんです。

たとえば、自分が嫌いだと思っていることの中に隠れているパターンだけじゃなく、
悪い!ダメだ!と思っていること。
他の人のようにうまくできない!自分は足りないんだ!と思っていることの中に隠れていることもよくあるんです。

・ ついついやっちゃうこと。それはあなたの才能かもしれません

「あれこれと考え過ぎちゃう」
というのは、思慮深いということですし、
「人の目を気にし過ぎてしまう」
というのもまた、人のことを良く気にかけるということでもあります。

考え過ぎてしんどいというのは、思考の働きを自分の責任だと錯覚しているからなんですね。
そして、それを押さえ込もうとしちゃうと、とっても才能豊かな思慮深さを自分で押さえ込んでしまうことになるんです。

また、押さえ込まれているのもまた自分ですからね。
そこでも傷ついてしまうんですよねー。

自分にとってどうしても気になるし、それがしんどく感じることもあるかもしれません。でもそれは、気づくことができる才能でもあるんです。

ですのでね。
むげに抑え込もうとしなくてもいいんです。

のびのびとそのまんまに居させておいてあげたらいいんですねー。

起こってくる思考や感情は一つの反応であり、自分自身がしっかりとコントロールするべきものではありません。
だからといって思考や感情の奴隷にならなくてはならないということでもないんです。

ただ、かわいい子供を庭で自由に遊ばせておいてあげる感じで、のびのびとさせておいてあげたらいいんです。

そうしておいてあげると、勝手にちゃんと才能を発揮してくれるもんですし、
そもそもそうやって起こっていることになんの不具合もなかったんだよねーということにも気付けてくるってなもんです。

 

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