Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考と真実性

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

いやー、景色って良いですよね。特に自然の景色がねー。
きれいな景色を見ると、なんとも言えない良い気持ちになります。

あれ、なんでなんでしょうね〜。
やっぱり、人工のものって、そこに色んな意味がくっついているから、
何かと鬱陶しいんでしょうね。

また、カラフルなのが良いじゃないですか。
色って面白いですね。

さて、そんな色なんですが、
これって、生物によってものすごーく多様性があるってご存知ですか?

つまり、生物によって見えている色が違うんです。

そうきくとね。
「あー、動物は人間ほどきれいな景色がみえないんだ〜」
ってね。
なんか上から目線になっちゃったりするかもしれませんが、
実は、ヒト以上にきれいな景色を見ている生物はいくらでもいるんです。

僕ら人間は、3色覚持っております。
赤と、青と、緑の3色ですね。

これ、かなり偏った色ですよね。
青と緑なんて似てるから、黄色にしたほうがもっと鮮やかな色が見えるのにねぇ。

ま、つまり人間は、3色でしかも偏った色しか見えていないんです。

ちなみに、他の生物、昆虫や鳥、甲殻類などは、4色覚や5色覚も持っている生物がゴロゴロいるわけです。

蝶の一部では、お尻にも目を持っているのもいたりするんです。

面白いですよね。

 

思考には真実性はない

ま、目で見たものっていうのも、色一つとっても多様な見方の一つでしかない。
ってことですよね。
さらに、見たものに色々な意味をくっつけてストーリー化したのものに、
真実性は無いんです。

ただ、そう見たというだけのことです。

目で見たものでさえこの有様だということは、思考っていうのはさらに真実性が無いということになりますよね〜。

そもそも、僕らは真実というものについては、何かしらの根拠を求めたりするわけなんですけどね。
あらゆることに根拠がある。という考えさえ疑わしいわけです。

確かに何かしらのルールの上でのルールに則った真実を探す場合は根拠が必要になるんですけどね。
ルール自体には真実性はありませんからね。

それはゲームの攻略法を探るのと同じなんです。

思考ちゃんは真実を求めるわけですが、それはルール上の真実を求めているんです。

意味付けのない景色

僕らは、目で見たこと、耳で聞いたことに意味を付け加えてみております。
これはこういう意味で、こういう成り立ちで〜といった具合にね。

ですが、大自然にはそういう意味の介入はありませんからね〜。
だからきっと、スッと心が晴れるような感じがするんでしょうね。

だったら、見たものや聞いたことだってね。意味を付け加える以前のままにしておけば良いんです。

それが「今」であり「ココ」なんです。

そうやってだた在ってみますと、それだけで心は軽やかになってくることを感じられると思います。

思考のカラクリ

心の重さっていうのは、思考を続けるために使っていたエネルギーによって起こっているんです。
なにか重いものを持っているのと同様に、ちょっと力が入っているんですよね。

この力を抜いてやるには、持っている荷物をおろしてやれば良いわけです。

つまり、思考という荷物をおろしてやるんです。

そうやってただ、「今」に在ってみると、思考の演出のカラクリが見えてくるんです。

 

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