Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心のゴミ掃除は小さなゴミから始めましょう。

はじめに

はぁーい。
どうもおはようとざいます。
タクさんです。

いやー。
僕はちょっと方向音痴なんですが、
最近、ちょっと良いなぁ〜と思う焼き鳥屋さんを近所で見つけたんですよ。

でね。
2回ほど行ったんですが、その後3回目に行こうと思ったんですけどね。

この辺だったよな〜と思われる場所を探しても無いんですよね〜。
まあ、たしかにこの近所は引っ越してきて以来あまりで歩いていないので、詳しくはないんですけどね。

どーしても見つからないんですよね〜。
この間も、1時間ほど歩き回ったんですけど無いんですよね。

うーん。不思議だなぁ〜。どこにあるんだろ??

さてさて、不思議なことは置いておいて、

思考を置いておこうとか、気にかけなくていいよ〜。
ってなことを普段から書いているわけですが、
これねぇ。
何でもそうですが、一番大物からやろうとしちゃうとちょっと難しいかもしれません。

また、思考を気にかけない自分になろう!とするのもちょっと違うんですよね。

というわけで、今日はそんなことをテーマに書いてみたいと思います。

 

小さなことから始めよう

なんかね。
治安の悪さを解消するために、重犯罪ばかりに力を入れるのではなく、軽犯罪を徹底的に取り締まった結果、相対的に治安が良くなった。

みたいな話があるんですよ。
たしか20年以上前のニューヨークの話だったと思うんですけどね。
こういうのを割れ窓理論っていうんですが、

思考ちゃんに対しても、
なかなか置いておくのは難しい!って思うかもしれません。
確かに大きな重たい思考をいきなり置いておこうとしてもそりゃー難しいと思うんです。

ま、カラクリをバラしちゃうと、思考に大きさも重さも無いんですけどね。
でもそう思い込んじゃってるところから始まっているので、そこから手を付けるのは得策ではありません。

また、完璧を目指すのも得策じゃないです。
完全に思考を気にかけない自分になろう!とするのは得策じゃないんです。

なぜなら、この「完全に思考を気にかけない自分になる!」というこの言葉自体がもう思考ですのでね。
そうなろうとすればするほど、思考のるつぼに巻き込まれていってしまうんです。

体感覚はそのまんま

なのでね。
まずは、かるーい思いだけ置いておくっていうのをやればいいと思います。

すると、思考は置いておけるし、置いておいても何ら問題ないということが徐々に腑に落ちてくると思うんですよね。

そして、そもそも思考に大小も思いも軽いもありません。

これは、体感覚がそのように演出しているだけですのでね。

僕らは、思考を置いておくのに、この体感覚までをも消し去らなきゃならない。
って思い込んじゃっていたりするわけですが、体感覚はそのまんまで良いんです。

ただ、あれこれと起こる思考だけを気にかけなきゃ良いだけなんです。

このあたりがしっかりと見えてくると、思考に重さもなけりゃ大きさもないということはきっと見えてくると思うんです。

心のゴミ掃除は小さなゴミから始めましょう。

なのでね。
心のお掃除じゃないですが、まずは小さなゴミだけを掃除することから始めてみたら良いと思います。
なにも、全部キレイに掃除する必要はありません。

なぜなら、そのゴミは全て幻想ですから。

からくりがみえてくるに従って、そのゴミは実際には無いことがわかってきますのでね。

そして、体感覚をなんとかしようとはしなくて良いんです。ただその感覚が起こっては消えていくだけですのでね。
そこに逆らう必要はないんです。

 

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