Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

静寂と喧騒

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

松尾芭蕉さんっていう人がいるじゃないですか。
江戸時代の俳人なんですけどね。

彼の俳句って、なんか良いですよね〜。
ものすごーく静寂に引き込まれるというか、
なんかそんな本質に引き込まれるような魅力があります。

例えば、
閑さや岩にしみ入る蝉の声
(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)

という俳句があります。

これ良いですよね〜。
蝉の声が岩にしみ入って静かだね〜。
ってことですよ。

まさにこれ、喧騒とは心のなかにある。
ということを表現してますよね。
僕のお気に入りの句です。

そんな芭蕉さんの俳句の一つで、

鐘消えて花の香は撞く夕哉
(かねきえて はなのかはつく ゆうべかな)

というものがあります。

いわゆる夕暮れを知らせる鐘の音が消えていくけど、
花の香はたちのぼる夕べ。

みたいなことを表現しているんですけどね。

撞くのは鐘なんですが、これを花の香にあてていてオシャレですよね。

でもこれ、今はお気に入りなんですが、最初は正直ちょっとイマイチな印象だったんですよ。
確かに静かな感じはするんですけどねー。

でもね。
芭蕉の英語版の本で紹介されている文を読んだ時に、この句の良さを知ったんです。

この句の英訳では、

鐘消えて
Temple bells die out.

花の香は撞く
The fragrant blossoms remain.

夕哉
A perfect evening.

って訳されていたんですね。

流石に、英語では撞くという部分はうまく表現できていませんけど、
そのかわり、最後のA perfect evening.っていう表現はめちゃくちゃいいですよね。

まさに、この静寂こそ完璧である。足りないものはないという感覚をうまく表現できていて、僕はこの英訳をみたあと、この句がとても好きになったんです。

英訳をした人もここにperfectを入れてくるあたり、いいセンスですよね。

 

思想と常識

僕らってね、多かれ少なかれみーんなある種の思想ってものを持ってるじゃないですか。

でね。
この世の常識と呼ばれているものというのは、いろんな思想の中でも多数派のものが常識と呼ばれているものなんです。

つまりは正しいとされているものですね。
実際は正しくもなんともないんですけどね。
そんなものは流行りと同じようなものですからね。

ま、思想ってみんな一つじゃなくてたくさん持ってるんですが、
自分の持っているなにかしらの思想が、この多数派とずれていることが気になっている場合は、なんか生きにくいな〜って感じちゃったりするわけです。

心の奥には、思想を共有したいという望みがあったりしますから
それがかなわないとなるとそこに生きにくさを感じちゃったりするんです。

思想は雲のようなもの

でもね。
これ、たかが思想ですからね。

思想なんてものはあくまで雲のようなものでして、
あるようでないものなんです。

だから、あまり自分の思想についてあれこれと悩む必要性ってないんです。
だって、雲の形みたいなもんですからねー。

あー、いまはこういう思想が出てきてるんだね〜。
くらいで良いんです。

無理にみんなに合わせなくてもいいですしね。

静寂と喧騒

空が曇り空だとしても、その雲を突き抜ければ青空が広がる!
ってなもんでね。

思想の雲が晴れたとき、そこに静寂があるんです。

この思想の雲こそが喧騒の元なんです。
喧騒とは思いによって演出されているものでしてね。

僕らはこの喧騒に右往左往したりしていたんです。

 

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