Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あるがままにってどういうこと??

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

どうしても思考や自我ちゃんにぺったりとくっついてしまって、
どうあがいてもそこから離れることができなーい。

なんてね。
そんな思いに悩んでいる方もおられるかと思います。

まー、こういうのってねー。
あがけばあがくほど、余計に巻き込まれちゃったりしてねー。
何とも扱いが難しいものだったりしますよね。

僕らは苦悩にぶち当たると、
これを解決するには、苦悩のもとになっている問題を解決しなければならない!
ってね。
普通はそう考えますよね。

そして、なんとかそれをクリア出来たときは、その苦悩は克服されるわけです。

ですが、すぐに次の苦悩の芽が育ってきていたりして、

「なんじゃーい!いつまでたっても、これの繰り返しかーい!」
ってなったりもするもんです。

でも、そもそもこの自我ちゃんや思考とベッタリとくっつきさえしなければ、
別に苦悩を感じなくてもすむんですよね。

あ、もちろん、採用しているルールの中では問題というものは存在しますよ。
だからといって、必要以上にそれを苦悩として悶々としなくてもいいじゃん!
ってことなんです。

というわけで、今日はそんな、思考や自我ちゃんにペッタリとくっついてしまう。
そんな謎の引力について書いてみたいと思います。

 

引力の正体

結論から言いますと、
自我ちゃんにペタッとくっつく様な引力。
このパワーは、あなた自身の力なんです。

つまりは、あなたがそこにパワーを使わなければ、
この引力って発生しないんです。

一見、その逆らいようのないパワーは外からやってきている抗いようのないパワーのように感じちゃうものなんですけどね。
ちがうんですよ。
なんのことはない、そのパワーは自身の力なんです。

ちなみに、自我ちゃんや思考にベッタリとくっついると、
疲れちゃったりするのは、あなた自身のパワーが
ペタッとくっつくために使われているからなんです。

では、どう言った時にこのパワーが使われるのか?
と言いますと、
それはやはり、
「〜であるべき」だったり、
「〜であるべきではない」
だったりするわけです。

つまるところ、
許せないという思いがパワーの原動力になっているということなんです。

引力から逃れるには

では、この引力にどうあらがえば良いのか?
どうしたら、このペタっとくっつく引力から逃れられるのか?
って話なんですけどね。

そもそも、この引力は外からやって来るもんじゃなくて、
自身の力ですのでね。

そこに力を使わなきゃ良いじゃん!ってことなんですけどね。

でも、なかなか使うな!と言われてもそうは行かないじゃないですか。

じゃあどうすればー!
ってことなんですけどね。

これはもう、あるがままを認め受け入れるしかないんですよねー。

そもそも、この引力はあるがままへの反発によって起きているわけです。

だって、「〜であるべき!」も「〜であるべきではない!」もね。
結局はあるがままへの反発なんです。

ちなみにこの引力のもとになるパワーは、あるがままへの反発ならその種別を問わず吸収していくんです。

どんな反発でもその理由は問われない。って感じなんです。

つまりはね。
この引力にあらがいたい!という思いもパワーとして吸収しちゃうって感じなんです。

わかりやすく言えば、
逆らうパワーであるなら、自分への非難であっても、それをパワーとして使わせてもらいますよ!
っていうことなんです。

あるがままに

だからね。
もう逆らわないことなんです。
自分に巻き込まれているなら、
「あー、巻き込まれているよね〜。でもそれもまた、オツってもんだよね〜」

ってね。
認め受け入れるしかないんです。

それを認めれば、巻き込まれたままじゃ~ん!
って思っちゃうかもしれませんが、これが自我ちゃんの策略なんですよ。
なんとしてもあるがままに逆らわせようとする策略なんです。

ここで逆らわないんです。

それがあるがままなんですからね。

自我にベッタリとくっついているのなら、
「くっついているよね〜。それもまた風流よね〜」
って受け入れてあげるんです。

だって、それがあるがままなんですからね。

そうすることで、この引力は弱まるんです。

これが、あるがままにということなんです。

 

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