Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我ちゃんが仕掛ける「孔明の罠!」

はじめに

はいよっ!
どうもおはようございます。
タクさんです。

よくね。
このブログに書いてあるような話を聞いたり読んだりして、
その時は、なーんか軽くなって気分も良くなったりしたんだけど、、、。

でもまた、日常に戻ったら、
あれこれと嫌な思考がふつふつとわいてきて、
結局、元の木阿弥になっちゃうんだよね〜。

これはどうしたら良いものなのか。。。

ってね。

そんなふうに思ってる方って多いと思うんですよね〜。

でもねぇ。
これ、ちょっと違うんですよ。

違うというのも変なんですが、
なんていうか、これはもうすでに自我ちゃんの術中にハマっちゃってるんですよね。

「いかん!これは孔明の罠だ!」
じゃないんですが、すでに術にハマってるよ!ということでして、

この術にハマってしまうと、いつまでたっても、
「軽くなった〜。」
「あれれ?また重くなった〜」をくりかえしてしまう
良し悪しの奴隷になってしまうんです。

日常に戻ったら、また元の木阿弥だ〜。
ってね。
そう思った時点で、
それってもう、ワナにハマってしまっておるぞい!

ということなんですよね〜。

 

当たり前ですが、思考に重さはありません。

そもそもね。
思考に軽いも重いもないんですよ。

ぼくらって、向こうからやってくる思考に軽さや重さがあって、
それに自分が巻き込まれている!
って思い込んでたりするんですけどね。

そうじゃないんです。

思考にはそもそも重さや軽さなんてなくて、
その重さを作っているのは自分なんです。

そして、なぜ重さを作っているのか?といいますと、
それこそ、思考の奴隷になっているからなんです。

思考の奴隷になっているかどうかの確かめ方

思考の奴隷になっているということは、
どこでわかるのか?といいますと、思考のルールを信じ込まされているかどうか?
ということでわかるんです。

では、思考のルールとは何か?というと、分離なんです。

分離の中で一番オーソドックスなのは、「良い/悪い」という判断です。

軽くなって良かったのに、また重くなってきて悪くなってきた。
っていう幻想を信じちゃってるのも、これまた思考の奴隷になっている証拠なんです。

じゃあね。
「この思考の奴隷から解放されるにはどうしたらいいのー!!!」
って話なんですけどね。

根本的には、思考のルールを見抜く。良いや悪いもないし、思考にそもそも重さなんてない!ってことを見抜くってことになるんです。

可愛い子供を見守るかのように・・・

ただ、そうきくと、

「見抜くにはどうしたらいいのー!!!」
って思っちゃうじゃないですか。
これもね。
なんていうか、自我ちゃんのワナといいますか、思考のワナといいますか。
何かしなきゃいけいない!っていう思いもまた錯覚でして、
むしろ、何もしないほうが良いっていうか、そもそも僕らは何もしていませんのでね。
どうにかしなくても良いんですが、、、。

とりあえずは、ただ見守ってあげたら良いんです。
思考や感情をただただ、見守ってあげるんです。

重たい思いも出てくるでしょうけどね。
それもちっちゃい子供がちょっとハジケてるようなものですからね。

微笑ましく、ハジケさせてあげたら良いんです。

色々起こってくる思考や感情も、そして、それに伴ってでてくる自我ちゃんも、
みんなカワイイもんだよね〜。
ってね。
そんな眼差しで見守ってあげたら良いんです。

ただそうやって見守ってあげる。
思考や感情をそのまんま受け入れてあげるんです。

するとね。
徐々にワナがほどけていくんですよね〜。

 

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