Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

こたえはきっと、心の奥に。

はじめに

はい。
どうも〜。
ブルーハーツの曲の中では
「情熱の薔薇」が好きなタクさんです。

みなさんは、どのようなブルーハーツナンバーがお好きでしょうか?

やっぱ、真っ赤に燃え上がって生きていきたいですもんね。
情熱の薔薇を咲かせてね。

ちなみに、ふと思うんですが、世の天才と呼ばれる人たちって、
みんな狂気じみてるじゃないですか。

手塚治虫さんだって、常人には考えられないような連載を抱えながらも、
アニメーションを作ったりしてますもんね。

10本以上の連載を抱えながら、読み切り漫画を書いたり、アニメも作ったりしてたんですもんねぇ。
びっくりするのは、アニメの勉強をしたいからって、動画制作会社に9時5時で働きながら漫画も10本以上連載していた。なんてエピソードもあったりします。

もう燃え過ぎですよね!

あの狂気もやっぱ燃えているって感じですもんね。
いかにたくさん燃え上がらせられるか?
ここが天才の所以なんじゃないかな?って思います。

まあ、天才とよばれるほど燃えちゃうと色々と大変なこともあるんでしょうけど、
ほどほどに燃えて生きていたいもんです。

 

答えはきっと奥の方

さて、そんな情熱の薔薇ですが、一番好きな歌詞の部分が、

見てきたことや聞いたこと、今まで覚えた全部。
デタラメだったら面白い。そんな気持ちわかるでしょう?
答えはきっと奥の方。心のずっと奥の方。
涙はそこからやってくる。心のずっと奥の方。

って部分なんです。

理屈じゃないんやで〜!
ってことですもんね。
見てきたことや聞いたことって理屈なんですよ。
でも、涙という感動は理屈じゃないんです。

僕らはついつい理屈でわかったふりをしちゃって、
そういう「わかった」という理屈が大人になるにつれ
どんどん増えてきてしまって、
理屈じゃない「コレ」をどんどん心の奥に追いやってきちゃったのかもしれませんね。

そして答えは奥の方に追いやられたってことなんでしょう。

理屈の奴隷

そんないろんな理屈を抜き取ってしまうと、とたんに何もわからなくなっちゃいます。

ぼくらが、わかる!ってなるのは、理屈を構成することですもんね。
そうやって理屈を積み上げて、何かをわかるのは、それはそれで面白い遊びです。
そして、これを増やせば増やすほど、なんか自分がとても偉くなったような感じがしてね。
ぼくらは、この遊びについついハマっちゃうわけですが、
大人になるにつれ、理屈を積み上げて偉くなるっていう錯覚を信じ込んじゃったりして、
偉くない自分でいるのを恐れ、わからないことに恐怖を抱くようになったのかもしれません。

わからないが怖くなっちゃうと、余計に理屈っ!理屈っ!ってね。
理屈を求めちゃって余計に理屈を積み上げることになっちゃいますからねー。

ここらで一度、理屈掃除をしても良いのかもしれません。

理屈掃除をしてみよう

理屈掃除をするにはどうしたら良いか?っていうとね。
自分にあるフレーズを問うてみるんです。

そのフレーズは何かといいますと、

「私は、本当に、確実に、わかったと言えるのか??」

ということを問うてみるんですよ。

絶対的にわかった!と言えるものはあるのか??

ってな感じでね。

これ、最初は怖いかもしれません。
だって、そんなん聞かれたら、
「うーん。わからん。」ってなっちゃいますもんね〜。

怖いからなんとかわかったことにしておきたくなっちゃうんですけどね。

そうなったらまた問うてみたらいいんです。
「絶対的にわかったのかー!」
ってね。

私は悟った!と思っているならそれも聞いてみたらいいんです。
「本当に、絶対的に自分は、悟ったと言えるのか??」
ってね。

すると、私は悟ったという幻想もまた吹き飛んでいってくれます。

あらゆる「わかった!」が吹き飛んでくれると、
心の奥にある答えがきっと顔を出してきてくれますよ。

 

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