Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

静寂のオーケストラ

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん。
最近響いてますか〜。

響きってねぇ。
なんともいい表現ですよね。

この、響くっていう感じって英語でいうとなんていうんでしょうねぇ?

直訳すると、サウンドとかエコーとかになるんでしょうけど、そういうことじゃないですもんね。

そうなると、オープンハート!みたいな感じになるんでしょうか?

でも響きのほうがもっと精妙な感じがしますよね。

この響きっていうのが、きっとあなたにとっても大事なことなんじゃないかな?
なんて思います。

 

思考の行き着く先はちんぷんかんぷん

こういった非二元の話もね。
頭で理解しようとすると、ちんぷんかんぷんじゃないですか?

へ?一体どういう事??ってね。

スピーカーさんたちもあらゆる表現方法でアプローチしようとしていますけどね。

これを、理解しようとすると、どんな表現であっても行き着く先はちんぷんかんぷんになってしまうんですよね。

だからね。
そこで、余計に「わかりたーいっ!」っていう衝動に乗っかるんじゃなくて、
ちょっと一旦立ち止まって、

自分の中に響くものがあるのかどうか?
っていうことをね。

確かめてみたら良いんじゃないかな?
って思います。

あの鐘

あの鐘をならすのはあなーたー!
ってな歌がありましたが、この鐘こそ、響きなんだと思うんですよ。
知りませんよ。作家の意図は。
僕の感覚では、あのかねとは心の奥に響くアレなんです。

この響きは、理屈を積み重ねた結果なってくれるようなものじゃなくてですね。

理屈が吹っ飛んだときに、鳴る!って感じなんですよね。
理屈はその後出来上がってくるんです。

でも、そんな理屈なんて別にどうでもいいんですよね。

静寂のオーケストラ

いい位置で鐘がなると響くんです。
ちょっとずれると、あまり響いてくれないんですよね。

理屈でどうにかしようとすればするほど、ズレてしまうんですよ。

捉えようとするほど、ズレちゃうんですよね〜。

捉えようとする働きは頭の中のおしゃべりです。
一度そのおしゃべりを置いておいてみてください。

すると、一見とても退屈な沈黙がやってきます。
その沈黙にあってみると、今ココの静寂が徐々に顕になってくるんです。

この静寂は、理屈側から見ると退屈な沈黙ですが、
理屈のメガネを外してみると、満ち満ちた静寂なんです。

この静寂に触れた時、僕らは響くんですよね〜。

この響きに心の耳を澄ましていると、静寂のオーケストラが聞こえてくるかもしれませんよ。

それはすべてが満ちているみっちみちの響きなんです。

この鐘をならすのはあなたなんです。
なんつって。

 

 

 

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