Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

大人ってちょっと芝居じみてるよね。

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕ね〜。
子供の頃に特に疑問に思ってたのが、
なんでみんな芝居じみてるの??
ってことだったんですよね〜。

結論から言うと、別に誰も芝居じみてなんていなかったんですが、
僕はそこが不思議でならなかったんですよ。

この不思議さをどうしても誰かに説明することが出来なかったんですよね〜。

ですが、今ならなんとか少しは説明できそうです。

それはね。
きっと、
みんなこの感覚だけ、いわゆる言葉に置き換えられない生のコレ。
コレのことは知っているはずだよね。

なのに、なぜ、言葉で置き換えられた世界のことについて、
まるで本気で真実であるかのように振る舞ってるの??

なぜ、真に迫った感じで演じつつ、みんなこの生の感覚を知っていることを隠しているの??

って感じだったんだと思います。

また、この生の感覚については、自明の理って感じだったんですよね〜。

ですが、このことを僕は大人になるにつれて忘れていったんです。

 

自明の理である生の感覚

でね。
悟りというものに興味を持ち始め、あれやこれやの体験をし、
その後に、「あ!!!!」って思い出したんです。

それがこの自明の理である生の感覚だったんですよね〜。

「あー!これかー!それなら知ってたわぁー。」
「もうややこしいね〜ん!」
って感じたんです。

だってね。

このことを、悟りだとかブッダだとか、解脱だとか、
めちゃくちゃ大げさに語るじゃないですか。

そのせいで、なんかもっとスゴイ未知のなにかだと思ってしまっていたんですよ。

だってねぇ。
なんか仙人みたいな人とかが、こういうの語ったりするじゃないですか。
インドとかで、、、。

するとねぇ。
なにか、魔術的なスゴイもののように感じちゃったりしますよねぇ。

思考以前のもの。それはスゴイことではなく当たり前すぎること

そもそもね。
そんな、なにかスゴイものじゃないんですよね。

とってもシンプルなんです。

これは、思考以前のものなんです。

ですが僕らは、思考を頼りにするクセが強く付きすぎているだけなんですよね〜。
このクセが強いから、気を抜くとすぐに理屈を求めてしまうんです。

理屈とは思考ですからね。
思考以前のものを思考で捉えることは出来ないんですよね〜。

そして、このことを思考ちゃんは、思考で捉えることが出来ないほど、
人の叡智を超えた、何か神的なものである!
ってね。
そんな錯覚をしちゃっていたりするんです。

だから、ついつい見逃してしまっているんですね。

元々あるのはコレだけ

なにはともあれ、思考を頼りにするクセを直せばいいのではないか?
ということで、瞑想だとか坐禅だとか、そういった色んなものがあったりするわけです。

これは、瞑想や座禅を通して、その先にあるスゴイものを掴むということではないんです。
だから別に、瞑想や座禅と言ったものが必須というわけではありません。

僕らはすでにこの生の感覚を今も感じているわけですからね。

元々、在るのはコレだけなんです。
コレとは、生の感覚です。
ダイレクトな感覚なんです。

感覚というとまた、いろんな解釈が出てきちゃうかもしれません。

ですが、生の感覚は解釈以前の感覚なんです。
五感の感覚ではありません。

そもそも、五感というのも解釈なんですよね〜。

 

 

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