Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

感覚から生きていたあの頃が蘇るとき

はじめに

うーん。
芳醇でとってもスモーキィー!

というわけで、
おはようございます。
タクさんです。

ウイスキーの能書きってあるじゃないですか。

このウイスキーはこんな味わいですよ!というのが説明されている文章のことなんですけど、
あれって、面白いですよねー。

例えば、

ナッティなフレーバー。ジンジャーの様なスパイス。
それらがギュッと凝縮されたかのような香味。
ドライフルーツを思わせる穏やかな優しい香りとグローブのようなスパイス、さらにはココナッツのような風味を感じさせ、フィニッシュにはスパイシーで温かな余韻を感じさせてくれます。
心地よい陶酔感が楽しめる一本です。

だとか、

スパイシーが織りなす複雑なフレーバーに熟成感のある味わい深いスイートさに包まれた後、パワフルな味わいがどこまでも続く。
至高のモルトです。

みたいなやつ。

これを読んでいると、なんとなーくわかったような気になるけど、
やっぱりわからんぞっ!
ってなりますよね。

まあ、こういうのを書いている人って、すごい文才だなぁって感心することしきりなんですが、やっぱり味って、言葉ではどうしても言い表せないんですよねー。

だって、味噌ラーメンを食べたことがない人に、完璧に味噌ラーメンの味を説明しろっ!って言われても無理じゃないですか。

口に広がるコクと香り。
そこに流れる至高の瞬間。
とかしか言いようがないじゃないですか。

音楽だってそうですよね。
好きな曲について説明しろと言っても、
とにかく聞いてくれ!としか言いようがありませんもんねー。

「とにかくいいんだよっ!泣けるんだよ!ノレるんだよ!」

みたいな説明になっちゃいますもんね。

スモーキーとはどんな味の種類になるんでしょうかね。
苦味?とは違うような気がしますし、渋味に近いのかなぁ・・・。

 

言葉では真実は言い表せない

さてさて、
この非二元だとかノンデュアリティのことに関しても、

「言葉を超越したことなんです。」
「だから、言葉では表現不可能なんですぅー!!」
デデンッ!ドヤッ!

って言われたりしますよね。

そんなことを聞いちゃうと、
「なんてスゴいことなんだ!でも言葉で説明できないことを僕らはどうやって納得すればいいんだろうか?」
って思っちゃいますよね。

言葉を超えたものだなんて、そんなことがあるのかー!
とさえ思っちゃったりしますが、
これね。
別に何も特別なことじゃないんですよ。

そもそも、どれも言葉で説明できるものなんてないんですよね。

「私はいません。あるのは全てだけなんです!」
みたいな一見わけがわからない表現もねー。

ウイスキーの説明文と同じようなものなんです。

生は元々感覚だった!

そもそも、言葉で表現されるものなんてないんです。
今日の空はものすごく青いよ!と言ったところで、実際に感じている空の感覚は説明できないんです。

それを僕らは、いつしか、実際の生の感覚よりも言葉に置き換えられた表現の方を真実だと錯覚してしまっているだけなんですよね。

そして、言葉で置き換えられた途端、その感覚は言葉という枠に当て込まれ、ダイレクトさがかき消されてしまっているんです。

じゃあなんで、こう言ったスピーカー達は言葉を尽くすのよ。表現できないと言いながら。と言いますとね。
他の人は知りませんが、僕的には、
ある種のこだわりがふっと剥がれるきっかけになるかもしれない。
ってことと、
思考が消えて混乱しちゃうときに、「あ、これか!」と混乱しないような道標になってくれるというところかなーって思います。

ま、そんなわけでね。
言葉の先を追いかけるよりは、
その言葉を置いておくことをオススメします。
すると、思考もまた収まっていきます。
そこで、今感じている感覚に浸ってみるんです。
感覚に良いや悪いはありません。
もし「これは悪い感覚なんじゃないか?」って思いが出てきたら、それも言葉ですのでね。
置いておくんです。

すると徐々に、感覚から生きていたあの頃が思い出されるんです。

 

 

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