Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ちょっとみんな、ニヒルになりすぎぃ〜♪

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

金曜ロードショーってあったじゃないですか。
今もあるのかもしれませんけど。

あれのオープニングってめっちゃ良いですよねぇ。
夕暮れの海を見ながら佇む紳士風のおじいさん?がねぇ。
なんとも、いい哀愁をかもしだしていて。

曲も良いんですよね〜。
なんか切なくて。
この曲のタイトルは、「フライデー ナイト ファンタジー」という題名だそうです。

もうねぇ。
金曜ロードショーのクライマックスはあのオープニングなんじゃないのか?
とさえ思ってしまいます。

また、あの風景が良いんですよね〜。
↓コレですコレ!

 

僕らって、すごくキレイな風景に出くわしたときって、
言葉が出ませんよね。

あーキレイだなー。って言えるような風景はまだどこかに余裕があるんですけど、
グッと来るような風景って、言葉を飲み込んじゃうんです。

あの金曜ロードショーの風景も直に見たらもっとすごいインパクトがあるんだろうな〜。
って思います。

あらゆるものが黄色く染まってね。
その黄色に自分もすっかり溶け込んじゃってねぇ〜。

ええわぁ〜。

 

グッと来るこの世の実相

あのグッと来る感じ。
あれこそがね。この世の実相なんですよ。言葉を失うことで蘇るんです。
僕らが普段見慣れていて、なんてことない風景も実は金曜ロードショー並みのグッと来るパワーを持っているんですよね。

目の前の世界と一体化したとき、それを感じられるんですよね。
まさにペットボトルのフタでさえ、グッと来るんです。

これね。
実はみなさんも、今、この一体感を実は感じているんですよね。
ただ、秒速以上のスピードでそれをかき消しているに過ぎないんです。

「あ、これはもう見たことがるやつ」
とか、
「これはもう知ってること」
みたいな感じでね。

後付けで何かしらの解釈をしちゃって、グッと来る「コレ」がかき消されているんですよね〜。

そうやって、目の前の世界をものスゴーク小さな解釈の中に埋め込んでしまっているんです。

ダイレクトさが、グッを蘇らせる

ですが、この解釈を一旦とっちゃえば、またたく間にこの「グッ」が蘇ってくるんですよ!
このグッと来るやつをどう言ったら良いかわからないからみんなそのことを、
「全体」だとか「全て」だとか「イノチ」と表現しているんです。

ですが、この「グッ」は言葉で表現された時点で消え失せるんです。
なぜなら、言葉というものは、枠だからなんです。
限定しちゃうんですよね。

そして、限定された時点で、ダイレクトさが失われてしまうんです。

ダイレクトさとは、まさに一体なんです。

あなたがみているもの、聞いていること、感じている感触。
これらすべては、ダイレクトなんです。
一体なんですよね〜。

この感触だけを是非感じてみてください。
ホント、「グッ」っときますよ。

別に僕が、変になってお花畑になっているわけではありません。
むしろ、みんながこの「グッ」を言葉に押し込めて、ニヒルになっているだけなんです。

スカしているんですよ。なんか知識とかいう空想に色んなものを詰め込むことによってね〜。

ニヒルを卒業してみよう

このニヒルを卒業したなら、「グッ」が蘇ってきます。
それは、何かを知ることじゃありません。
言葉や知識に押し込めて、スカすのをやめてみるだけなんです。

やれ、コレがホントの真実だとか、もっと深い真実がコレだとか、
そんなスカしもやめちゃえば良いんです。

ちょっとニヒルすぎるんですよ。

それらをやめるだけで、「グッ」がちゃんと向こうからやってきます。
ま、やってくるんじゃなくてずっとココにあったということなんですけどね。


セッションでは、こんな「グッ」について道案内をさせていただいています。
ニヒルを卒業してみませんか??

takuteto.hatenablog.com