Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あるのはただの気づきだけ

はじめに

はーい。
どうも!
腰痛持ちのタクさんです。

まあこの腰痛はねぇ。
高校生くらいからの付き合いなんですが、
当時はまだ若いのでね〜。
若さと筋力でなんとか乗り越えてきていたわけですが、

ほら、
あのときの僕とくらべて、今の僕なんて、
体重もものすごーく増えちゃっておりますし、同時に筋力も落ちてきているのでねぇ。
なんだか、慢性的に痛いんですよね〜。

ただねぇ。
逆に、若い頃からずっとあった慢性的な頭痛に関しては、
今はほとんど感じなくなりました。

まー、若い頃のスタイルをちゃんと維持している人ってエライな〜って思います。

皆さんの腰痛ライフはどの様な感じでしょうか?

 

気づきがあるから天気がわかる

さて。
これを読んでくださっている皆さんの、
今日の空模様はどのようなものでしょうか?

窓から外を見てみると、すぐに空模様に気づくことができますよね。

「あー、今日は雨かぁ〜」
とか、
「今日はいい天気だな〜」
とか、
「あー!流れ星だぁ〜」
とかね〜。

こういうのに気づくのって別にやろうとしなくても、
ただ見れば、すぐに気づきますよね。

もっというと、雨だとか晴れだとか、
そういう判断をする以前にもう気づいているわけです。

気づいているからこそ、その気づきから、雨とか晴れといった判断が出てきているわけでしてね〜。

あるのは、ただの気づきだけなんです。

気づきがあるから思考がわかる

では、今、どんな事を考えているでしょうか?
これについても、気づくことが出来ますよね。

「あのとき、あんなことを言われたことについて考えている」
「今日は何食べよっかな〜って考えている」
「明日の予定はどうなってたんだっけ?って考えている」

みたいな感じでね。
色んな考えに気づくことが出来ると思います。

そして、その考えに気づいている気づきもね。
あーだこーだと判断される以前にもう気づいているんですよね。

その判断以前の気づきは、ただの気づきなわけです。
そして、あるのはその気づきだけ。

ちなみに、あらゆる考えには、その土台に「私」という判断がもれなくついてきています。
考えのストーリーに挙がってこなくても、設定の土台として「私」という概念がくっついているんですよね。

ちなみに、こいつについても僕らは気づいているんです。

あるのはただの気づきだけ

さてさて、
あらゆる感情にも僕らは気づくことが出来るんです。
また、感情は体感覚もセットになっているので、
よくよく観察すると、その体感覚にも気づけると思います。

そして、不快だとか快感だとかの判断以前に、
やっぱりただの気づきがあるんです。

でね。
この気づかれるものに価値の差はありません。
それは、ただ起こっているだけなんです。

不快な感情も、窓の外の空模様も、同じものなんですよね。

ただ、窓の外の空模様を絶対思い通りにしなければならないっ!
って思っちゃうと、叶わないその願いにツラく感じちゃったりしますよね。

それがツラさの原因なんです。

不快も快感も、そこに価値の差はありません。
ただ、何でも無いことが起こっているだけなんですね〜。

この、思考や感情に気づいていることを忘れている間だけ、
僕らはこれらに乗っ取られているんです。

ま、そんなわけでしてね。
あれこれと思考が回るときにはね。
まずは、その思考に気づいているということ。
そこを確かめてみれば良いんです。

 

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