Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ルールは私が決めたんじゃないっ!

はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

僕らが掴み取ってる概念とは、ルールのようなものなんですけどね。
このルールってねぇ。自分で掴み取ったはずではあるんですけど、あまりそんな覚えってないですよね。

ましてや、自分をがんじがらめに縛り、そしてそのルールに沿わないと途端に不安になっちゃうようなものってね。
そんなの手放したいし、知ってたら掴み取らないよ!
ってな話ですもんね。

まー、
なんていうか、基本僕らは好きなことをやっているって言われていたりもしますが、

「え〜、こんなルールを採用した覚えもないし、不安になったりする原因が好きなこととも思えないんですけど〜」

って思いますもんねぇ。

というわけでね。
今日はこの辺のいきさつをテーマに書いてみたいと思います。

 

ルールは先に決まっていたりする

僕らが採用しているあらゆるルールってね。
基本は教わったことなんですよね。
では誰から教わったのか?というと、先達なんです。
基本は親ですね。

ほら、
なんかよくあるドラマで刑務所の牢屋に入れられるシーンなんかでも、
「おい!新入り、ここではこう言うしきたりなんだ!」
ってね。
妙なしきたり、つまりルールを押し付けられたりするじゃないですか。

まあそんな感じで、僕らは後から来たものとしてね。
最初にルールを押し付けられてきたんです。

まずは、親からそのルールを教わることになるのがほとんどです。
で、そのルールはその地域、お国柄、親の個性などが反映されたものになっているわけです。

僕らは生まれた時は天使だった

ほら、やっぱり僕らって、生まれた時は天使だったわけじゃないですか。
無垢で、素直でね。
しかも、親を愛していたわけです。

だからね。
もう言われたことはなんでも無条件で受け入れてきたわけです。

なぜなら、無垢で素直な天使ですからね。

そして、受け入れたルールを律儀に持ち続けてしまってたりするんです。
そして、そのルールに沿わないことが起こったり、
はたまた、自分らしさとルールがぶつかったりするときに、苦しんだりするわけですな。

義務的ルールは正直しんどい

無防備に受け入れたルールってね。
そもそも、自分の気質に合っているのか?
というと、そうはいきません。
たまたま合ってることもありますけどね。
そうじゃない場合も多いんです。

ほら、子供の頃に無理やりやらされた習い事が全然好きになれないってことはよくあるじゃないですか。
たまたま、好きになったりそれが生涯の職業になったりすることもありますけどね。

でね。
あまり意識せず受け入れたルールって義務的なものになりがちなんですよね。

そして、この義務的なルールばかりで生きているとしんどくなってくるんですよ。

このしんどさが、結構厄介でしてね。
ずっとこのしんどさに甘んじていると生きる気力すら失われていきますし、
なんだか人生しんどいな〜ってなってきたりするんですよね。

そういう時は、義務的ルールに侵されているのかもしれないんです。

義務的ルールにつくられたセルフイメージと本来の自分らしさが乖離してしまうんですな。

よくあるのが、安定した職業だとか地位だとか学歴といった義務ばかりを優先して、自分が好きだったことは一切やれていない。みたいな感じとかね。

喜び探しと、感謝

そしてね。義務的ルールを優先していると、ぼくらは次第に喜びが忘れ去られるんですよね。
喜びとは、本来自分が好きなもの。オモシロイもの。楽しいものです。

じゃあ、自分のオモシロイを取り戻すにはどうすれば良いのか?
というと、忘れ去られた喜びを取りものさなきゃなりませんよね。

これってね。実際は目の前にあるんですが、見逃されているんです。
義務的ルールに縛られていると、好きなことや喜びは見逃されるように出来ているんです。

なぜなら、義務的ルールは、マイナスばかりに目を向けてしまうからなんです。

あ、マイナスとはマイナス思考ということではないですよ。
義務的ルールにとって、うまくいっていないことはないか?
ルールに則っていないところはないか?
というものを探すってかんじですね。

うまくいっていることはほったらかしにして、
「これで果たして大丈夫なんだろうか?」
ってなことを常に探す感じです。

喜びっていうのは、どちらかというとうまくいっているジャンルに入っちゃうので、
そんなのは必要ないぜっ!ってなことで、無視されちゃうんですよね〜。

だからね。
今の自分で、ここは喜びだよな!これは感謝だよな!
っていうことを探してみるのがオススメなんです。

コロちゃんで大変だけど、こういうところは自分にとって喜びだよな!これは感謝だよな!
ってなことを探してみるんです。

そうすると不思議なことに、義務的ルールから離れられるんです。
感謝をしていたり、喜びを感じているとその間は、義務的ルールから離れられるんですよね〜。
水と油が混ざらないのと似た感じでしょうかね。

そうすることによって、こびりついた義務的ルールを手放しても大丈夫なんだということが、肌で感じられるようになってくるんです。

そして、義務的ルールが剥がれていくたびに、元々あった自分らしさってものが蘇ってきてくれるんです。

 

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