Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人のためよりまず自分。それが人のためになる。

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは、世のため人のために生きておられますか?

ま、僕も含め、大半の人は
そんな生き方できてないよぉ〜。
そんな立派じゃないよ〜。

ってね。
思うかもしれませんね〜。

でもね。
もしかしたら、知らないうちにそのような生き方をしているのかもしれないんですよ。

そしてね。
それが行き過ぎているかもしれないんです。

しかもね。
「私なんてそんなに立派じゃないよ〜!」
って思っている人こそ、
実は、そうなっているかもしれないんです。

僕もよく、
自分をちゃんと可愛がってあげましょうね。
なんてことを書いているわけですが、

それは、そんな知らず知らずのうちに、
自分を蔑ろにして、
世のため人のために行き過ぎている人が多いからだったりするんですよね。

世のため人のためっていうのはね。
別に悪いとはいいません。
それはそれでいいことですけどね。

じゃあ、めちゃくちゃ素晴らしいことか?
というと、そうでもありません。

あやとりというゲームは、ものすごく素晴らしいか?
と聞かれると、
そりゃ、好きな人からすれば、素晴らしいかもしれませんが、
人生のうちで、2,3回くらいしかやったことのない僕からしたら、
何よりも尊い!なんて思わないし、
だからといって、悪いこととも思わないよ〜。

ってなるじゃないですか。

世のため人のためっていうのもね。
そんな感じで捉えたら良いんじゃないかな?って思うんですよね。

 

自分を置き去りにして人のことや世間のことばかりを考える

世のため人のためっていうのはね。
もちろん、人に喜んでもらえるようなこと、社会が良くなるようなことをするっていうこともあるでしょう。
それはそれで良いんですが、

また別のケースとしては、
自分を置き去りにして人のことや世間のことばかりを考えている。
というパターンもあると思うんですよ。

そして、
世間や人に対して、

「怒られないようにしよう。」
「嫌なやつだと思われないようにしよう。」
「ちゃんと役立つ人間にならなければならない」
「しっかりしなきゃならない」
「バカと思われないようにしなきゃならない」

ってなことを自分の好きな生き方よりも優先してしまうというパターンです。

人に喜んでもらうのが嬉しくてやるっていうのならいいんですけどね。

変な強迫観念にかられてしまうと、ちょっと自分がしんどいよ〜。
ってことなんです。

これを聞くと、
「あ!ワシも世のため人のためばっかり考えて、自分が置き去りになっとる!」
と感じる方もおられると思います。

人のためよりまず自分

世のため人のためっていうのもね。
自分がそれで嬉しかったり楽しかったりするからやるものであってね。

自分を押し殺して、さらには犠牲にしてまでとなってしまうと本末転倒のような気がするんですよね。
だって、自分が不幸になっちゃうと、それを見る周りの人にも不幸をになっちゃいますもんねぇ。

なんかね。
人のためにめっちゃ苦労するっていうのも、やっぱりやってる人が楽しくてやりたいからなんですよ。

世のため人のためは、そうすべきものでもありませんからね。

あやとりのほうが好きなら、あやとりを目一杯楽しむことが、世のため人のためなんです。
だって、何かを楽しんでやってる人って、それだけで周りにも勇気を与えますもん。

だから、野球をして無くても、オオタニサーン!ってなったり、イチロー!ってなったりするわけじゃないですか。

だから、自分を喜ばすを追求していくと、自然と人に勇気を与え、人のためになっていくんです。

でね。
自分を可愛がるとは、自分を変な枠に閉じ込めないであげるってことなんです。

変な話ね。
この枠が自分になっちゃってたりするんですよね。

そして、この枠が取り去られると、自分が枠から自由になるんじゃないんですよね。
この枠が自分だったんです。
でね、その自分が消えると、なんていうか本来の自分といいますか、
全てが残るんですよね〜。
そして、元々は、枠なんて無かったことを知るんです。

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