Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幻想はどのように生まれるのか

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さんにちょっとカンタンな問題です。

1+X=3
とする場合、
Xは何でしょう??

ま、
カンタンですよね。

きっと皆さんはXは「2」だ!
ってなりますよね。

なぜなら、
1+2が3になるから。
ってことですもんね〜。

これね。
数学というルールの中ではそれで答えはあっています。
でも、真実ではないって感覚わかりますか?

そもそも、
1+2と3ってぜんぜん違うものですよね。

見た目も文字面も全然違います。
これが3のはずありませんよねぇ?

は?
何いってんの?
って思うかもしれません。

ですが、
マジで正直なものの見かたをすると、
1+2と3はぜんぜん違うものなんです。

また、Xが2のハズもありません。

だって、全然違うじゃないですか。
XはXであり、2は2ですもんねぇ。

Xが2であるって何いってんの???
って話なんですよ。

きっとこの感覚がわかり始めると、
僕らがみている幻想というものも少しわかってくるかもしれません。

ま、わかるっていうのもまたちょっと違ったりするのでややこしいんですけどね〜。

 

僕らのモノの見かたはルールに影響されている

僕らはね。
なまじっか、算数や数学というルールを聞いてしまっているから、
1+2と聞くと即座に3であるって思い込んじゃうんです。

でも、これは単なるルール上だけの話であって、真実ではないんです。

また例えば、
「赤」「青」「緑」
って言う文字を見ると、どう感じるでしょうか?

赤は赤色をイメージしちゃいますよね。
でもこの「赤」という文字をよくみてください。
何色でしょう?
黒ですよね。
「赤」は黒なんです。

「赤」←こう書いてはじめて赤になるわけですからね。

これ、屁理屈を言っているわけではありませんよ。
僕らは気づかない内に、かなりルールに影響されたモノの見かたをしている。
ということなんです。

=(イコール)という錯覚

1+2=3と言う式も、
赤という文字も、

どちらも仮の決まりごとのルールなんです。

たとえば、
1+2=3
という式でみれば、
この式で言うところの=は、同じものとすると言う意味ですよね。

だから、同じだ!と感じるわけですが、これもまたルールの一部に過ぎないんです。

A=Bであり、B=Cであるなら、A=Cである。
ってのも、この=(イコール)というルールの上で成り立つ概念なんですね。

でも、実際には、AはBでもCでもないんです。
僕らは=(イコール)の意味を習った途端、目の前の世界の見え方を歪まされているんです。

頭の中のストーリーもまた、全てルールによって作られています。

これがあれだということは、つまりこういうことになるよね!

みたいな考え方でストーリーをどんどん展開されるのもまた、
ルール上でだけそうなっているだけなんですが、
僕らはそれを真実だと錯覚してしまっているんですよね〜。

このように幻想が生まれ、その幻想を真実だと錯覚してしまうんです。

 

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