Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

探求は何のためにあるのか?

はじめに

はいどうもー!
寝るのが大好き!
タクさんです。

皆さん!
毎日、絶賛寝ておられますでしょうか?

なんかね〜。
寝るってちょっとウケますよね。

どんなこわもてのオッサンも、
キリッとした天才も、
ものすごく美人な女優さんも、
どでかい会社の社長さんも、
大統領も、

みんな例外なく寝るんですもんね。

口開けて、ぐが〜ってやってるんですよ。
無防備をさらけ出して寝てるんです。
しかも毎日。

僕らだってそうですよね。

しまったー!えらいことになった〜!
って日中大騒ぎして、眉間にシワを寄せていたとしても、
いずれは、くかーっ!って寝るんです。

なんだか、可愛いですよね。

ちなみに、1時間の睡眠不足は、
缶ビール一杯分の不注意を呼び込むらしいです。

つまり、睡眠不足のまま仕事をするのは、
ビール飲んで酔っ払いながら仕事をしているのと同じようなものらしいです。

ですので、しっかりと睡眠をとりましょうね!

 

寝るためにすることはない

ま、そんな睡眠ですが、僕らって「さあ寝るぞ!」なんて言ったりしてますが、
実際に寝るためになにかやってる?
っていうと、実は何もやってないですよね。

なんか横になって目を閉じて、
眠りが向こうからやってくるのをひたすら待つ。
みたいなね。

これって、やってるというよりは、やってることをやめている。
というのに近いですよね。

そう。
寝るってね。
僕らは何もしてないんです。
眠りが彼方からやってくるだけ。
僕らは何もせずに、それをただ抵抗せずに受け入れるだけなんです。

ん?
僕らは何もしていない。
それは彼方からやってくる。
ただ抵抗せずにそれを受け入れるだけ。

んー。
あれあれ〜?
なんだか、よく聞くフレーズだと思いませんか?

探求は何のためにあるのか?

なんだか、このフレーズ。
いわゆる「それ」とも似てますよね。

「それ」は常に今ココにありますのでね。
僕らは「それ」をただ受け入れるだけ。

ってな感じでね〜。

「それ」に気づくために何かをする必要はないんですよね。
っていうか、出来ることがないんです。

じゃあ、探求って何のためにあるのか?
って話なんですけどね。

たしかに探求なしでは何も始まらないわけですが、
その探求は、捨て去るためにある。
と言えるのかもしれません。

探求が起こり、そしてその探求が捨て去られる。
そのとき、今が蘇る。

ってな感じでね。

何かをする私はいなかった

只管打坐(しかんたざ)という言葉があります。
意味は、ただ座る。ということです。
ただ座りくつろぐこと
あらゆる概念や探求を置いておき、ただ座る。
そうやって今にくつろぐんです。

すると面白いことに、寝るために何かをしているわけではないのと同様に、
座るためにも何もしていないし、起きるためにも何もしていない。

あらゆる思考や感情、あらゆる起こること、
これらに対しても、何もしていない。
そもそも、何かをする「私」もいないんじゃーん!

ってなことを、誰でもない、なんでも無いものが、ただ知るんですね〜。

やってることを置いておくと、やってなかったを知るんです。
面白いですよね。

 

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