Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ゆったり呼吸でとりあえず落ち着こう

はじめに

はい。
どうもー!
おはようございます。
タクさんです。

なんだか暖かくなったり寒くなったりですね〜。
お身体の調子はいかがですか?

巷にはいろんな健康法がありますが、
僕のお気に入りは、散歩とサウナです。

サウナってね。
クソあつい部屋に入るじゃないですか。
そして汗をかくわけですが、

実はね。
サウナの主役は、汗をかくことじゃなくてですね。
水風呂に入ることなんだと思うんですよ。

あれがね。
血行を良くして、自律神経を整えてくれるんですよね。

その水風呂に入りやすくするための準備としてサウナがある!
みたいなね。

そんなふうに捉えております。

なので、サウナがなくても、冷水シャワーを浴びてみたりするのは、
とっても健康にいいと思いますよ!

ちなみに、水風呂に入る時のコツは、
ゆーったりとした呼吸をすることです。

目安としては息を吸ってから吐くまでを10秒くらいかけて呼吸することがコツとなります。

でね。冷水シャワーでも水風呂でも、最初は冷たいんですが、
そのうち暖かくかんじてくるんですよね。

それが、血行が良くなり自律神経が整ったサインなんです。

是非お試しあれ!

 

探求のきっかけ

さてさて、
探求ってね。
やっぱり皆さん、探求するからにはいろんなきっかけってあると思うんですよ。
探求するからには何かしらの答えが欲しいわけですし、
答えがほしいからには、何かしら、わからないことがあるわけですからね。

また、わからないことが気になるからには、
わからないままだと、そこにイヤーな感じがあって、
どうしたらいいのか?
ってなるわけですからね。

つまりは、問題があるからこそ解決したいっ!
ってなっちゃってるわけですね。

問題という錯覚

でね。
この問題というものは、まあ例えばですよ。
電車の向かい側に座っている坊主の中学生が、
成績のことで悩んでいたんだとしても、
ま、自分にとっては問題じゃないじゃないですか。

「そっかー。頑張れよ!」
ってなもんですもんね。

ですが、その問題が自分のこと、自分に近い人や物事になってくると、
途端になんとかしなければならない問題となってしまうんですよね。

まるで、自分には何かが欠けているかのような錯覚さえ受けてしまうんです。
すぐにそれを埋める何かが見つかる場合はそれでいいんですけどね。
そうじゃないから欠けた欠片を求めて探求するわけです。

探求の終わり

この探求を終わるのは、探し求める自分が消え去ることです。
実は、この自分は元から存在していなかったんですよね。

自分が消え去ると、問題も無かったことが明らかとなります。
自分と問題ってセットになっていたんですよね。

ですが、ここで思考の中の自分は、探求を終わらせるためにどうやって自分を消したらいいんだろう?
って思っちゃうんです。

ここがパラドックスになっているんです。

そもそも、探求の原点になっている問題というものは存在していません。
僕らは、問題という幻想を見せられているんです。

だからどうすることも出来ないんですけどね。
どうにもしなくていいんです。

ゆーっくりと呼吸して、今ココに落ち着くんです。

 

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