Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無意識の海へ飛び込む

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はじめに

はいよっ!
おはようございます。
タクさんです。

脚本家とか小説家とか漫画家もそうですが、
やっぱストーリーを考える人ってやっぱすごいっすよね。

色んなキャラを作って、その人ならこうするだろうとか考えて、
物語の設定を考えて、さらには話を盛り上げたりもするんですからね〜。

いやー。すごいすごい。
ものすごいエネルギーだよね。
こういうのを作るのって。

こういうのが上手な人って、やっぱり色んなキャラに憑依出来る才能も有るんでしょうね〜。
役者さんみたいに。

深くキャラに憑依できるからこそ、作品に説得力が出てくるんですもんね。
なので、出てくるキャラの人格の幅が広いほど、書き手の才能が溢れとるっ!
ってことなのかもしれません。

ちなみに、僕らも自分というキャラにはものすごく憑依していたりします。
この自分というキャラへの憑依が深いほど、僕らの脳内ストーリーはリアリティを増すわけです。

この憑依の強さこそいわゆるストーリーの元となる信念の強さであり、
執着の強さでもあるということなのかもしれませんね。

ただ、この執着が悪いというわけじゃありません。
僕らはすぐに、良いと悪いにわけて捉えちゃうのもまた、ガッツリ自分に憑依しているからこそ出てきてしまうものなんです。

 

自分という信念

憑依の強さがストーリーの元となる信念の強さって書きましたが、
この信念というものは、どういう信念なの?といいますと、

これは、自分という個人がいる。という信念なんです。

個人がいるというからには、分離しているということでもあります。

つまり、あらゆるものから分離した自分というモノが確実に存在している。
と信じて疑わないこと。

これが信念なんです。

この信念が強いからこそ、自分というキャラに深く憑依出来るわけですね。

キャラは思考で作られる

この自分というキャラは、キャラクターですので、もちろんストーリーの中に存在しています。
ストーリーとはまさに思考によって紡がれております。
なので、思考は自分である。と僕らは感じているんです。

そして、自分というのは主体者という意味も付与されておりますので、ちゃんとコントロールしなければならないものにもなっているわけです。

ちゃんとコントロールする。というのは、
ちゃんと良い方向へ導く。ということでもありますからね。

どっちに向かっても良しっ!
なんだとすれば、コントロールする必要性もありませんからね。

だから、どんなものもまずは、良いのか悪いのか?
という判断をしてしまうわけなんですね〜。

無意識の海へ飛び込む

この憑依の深さ、強さ。
これはいわゆる意識が自分というキャラにペッタリとくっついているということです。

このペタッ!とくっつくこと。
これが執着なんですね〜。

ちなみに、なぜこのように自分というキャラへの憑依が強くなっているのか?
というと、これは単に繰り返すことによる習慣化なんです。

毎日繰り返すことで当たり前になっちゃった!
みたいなものなんですね〜。

なので、この憑依から解き放たれるには、一旦自分というものから離れてみないことには始まりません。

この自分というのは、思考そのものです。

だから、一旦思考を置いておこう。ってなことがよく試みられているわけです。

瞑想然り、滝行しかりね。

ただ、瞑想のその先になにか良いものが得られるのでは?
という考えは、自分というキャラに憑依しているからこそ出てくるアイデアなんですよね。

その先に何かがあるなんてことはありません。
だから、そんな期待も一緒においておけば良いんです。

何かをしないというよりは、ザブーンッ!と無意識に飛び込んでみる。
って感じで良いんです。

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