Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

非二元を学ぶ弊害

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はじめに

はいよっ!
おはようございます。
タクさんです。

今ハマっているゲームはエルデンリングです。
久々の骨太作品で、大変満足でございます。

ま、ゲームにしても勉強にしてもね。
課題をクリアしていくものですよね。

仕事もそうかも知れません。

で、こういったものの面白さというのは、
課題をクリアしたときの快感ですよね。

これがゲームや勉強や仕事の醍醐味なんだと思います。

きっとね。
勉強が苦手だ〜!って場合や、
仕事嫌いだー!って場合はね。

クリアしたい課題が無いっ!ってことがあるんだと思います。
課題がつまらないってのもそうですよね。

これだと、いくらやっても面白くありませんもんね〜。

で、このいい感じの課題をクリアしていくことで成長していく。
なにかがより良くなっていく。

コレも楽しさの醍醐味です。

いくら勉強しても、いくら仕事をしても、
ずっと同じことの繰り返しで一切の成長も変化もない。
ということであれば、やっぱり面白くありませんからねー。

だから、どんどん新しいことを吸収して、課題をクリアしていくと、
影響力が強まっていくだとか、収入が増えていくだとかね。
こういうのがないと面白くないわけです。

ゲームはこういうバランスをうまくクリエイターさんが調整してくれておりますのでね。
出来のいいゲームはそれで面白いわけです。

ま、なので学びというものは、常に新しいことを知る。
そして課題をクリアするという面白さがあるわけですね。
この調整の仕方が上手な人って面白さを最大限に引き出せますからね〜。
そういう調整が上手い人は仕事や勉強が出来るんだろうなぁって思います。

 

後々の弊害

さてさて。
ただこれがねぇ。
非二元を学ぶという点においては、ちょっと後々弊害になってくるんです。

勉強や仕事が得意な人ってね。
もう課題クリアの回転率も早いんですよ。ノウハウがありますからね。

でね。
こういう人って、最短距離で学ぶってのも上手ですからね。
ここがちょっと弊害になっちゃうんですよね〜。

というのも、どんどんとわかったことを積み重ねていっちゃうのと、
最短距離というのは、わかったことはもう用済みにしていくからなんですよね。

いろんなパーツのレゴを集めるのに似ているのかもしれませんね。
すでに持っているパーツはもういいっ!
それよりも、なんか新しいパーツはないか?

ってな感じでね。
なるべく早く、能率よく、新しいパーツを集めようとしちゃうって感じかな〜。

キリがない輪廻

後々弊害って書きましたが、最初は面白いんですよ。
非二元の話って、なんか聞いたことがない!っていう話でもあったりしますからね。
で、いろいろと読んだり聞いたりしていくじゃないですか。

するとね。やっぱりいろいろと観念が外される!ってことが起こってくるんですよね。

で、観念が外されるごとに、もっと知ろう!もっと吸収しようっ!
ってなっちゃうわけです。

でも、ある程度吸収すると、もう吸収するモノが少なくなってくるんですよ。
そして聞いたものには興味がなくなっちゃうんです。

また、感覚としてはね。
これらの観念がどんどんと外されていくと、その先になんか「悟り」といったようなものがあるんじゃないか?
ってね。
そんな感覚を持っちゃうんですよね〜。

これは、ヒーリングと呼ばれている分野も似ているのかもしれませんね。
これも強く握ってしまった観念から自由になるという意味ではとても素晴らしいものだと思います。

ただし、じゃあ次、その次ってなってしまうとキリがないということでもあるんです。

観念はなくならない

ま、そもそも観念というものはあるようにみえて無いものでもあります。
これは、観念を観念としてみたときに明らかになるんです。

僕らは観念を真実として観るから、観念を見失ってしまうんです。

なので、これらを無くした先に何かがあるわけでもなく、
新しいことを知った先に何かがあるというわけでもないんです。

むしろ観念が無くなった先に何かがある。
観念をなくすのには価値がある。

っていうね。
これこそ観念ですもんね。

ま、観念は手放してるというよりは別の観念で上書きしてるだけだったりするわけです。

学ぶというのも、観念の置き換わりなんですよね。
ここを見逃しちゃうとずっと足踏みになってしまったりするんです。

 

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