Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【私は在る?】私ってなあに??

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【はじめに】

はいよっ!
おはようございます。
タクさんです。

そういえば最近、
「ここはどこ?私は誰?」
ってなセリフをドラマでみてないな〜。
って思いません?

昭和の頃はこういう記憶喪失を題材にしたドラマって、
やたら多くありませんでした??

気のせいなのかな??

さてさて、
そんな記憶なんですが、
事件なんかが起こると警察は聞き込み捜査をやるじゃないですか。
あれって実は制限時間ってのがあるらしくて、
その制限時間ってのが72時間なんだそうです。

なぜなら、72時間を超えると人の記憶って曖昧になってくるので、
聞き込みをしてあてにならなくなるらしいんですよね〜。

つまり、
記憶なんてものは、3日経てばあてにならないってことです。

ぼくらって、意外とあてにならないものをあてにしているのかもしれませんね。

 

【私は記憶?】

だってね。
記憶喪失になると、
ここはどこ?私は誰??
ってなるわけじゃないですか。

つまり、
「ここ」も「ワタシ」も記憶の中にしか無いモノ。
ってことになりますよねぇ。

ではこの記憶は真実なのか?
というと、結構怪しいんですよね。

そもそもね。

「ここはどこ?私は誰?」
ってなったとしても、ちゃんと存在しているわけですからねぇ。

記憶がなくなったところで、ちゃんと存在しているというわけです。

なのに、記憶をつかって「私」というものを上書きしているってことにもなりますもんね。

【毎朝「私」を再確認している】

みなさんも、きっと経験があると思いますが、
ものすごーく深く眠っていたときってね。

バッと起きたときにちょっと焦ったりしません??

あれ?
今日は何日??今日の予定は?
私は今どんな状況??

みたいな感じでね。
起きた途端、記憶をものすごい勢いで漁ったりしてね。

すごい勢いで自分という設定を記憶の中から集めだしたりしてね〜。

つまり僕らって、毎朝、自分の設定を思い出してるんですよね。

これって、言い換えると、そもそも思い出さなきゃ「無い」ってことでもあるんですよね〜。

僕らはその設定を毎日思い出しては、それを演じている。
とも言えるわけです。

【私は記憶の寄せ集めではない】

つまり僕らが「私」だとしているものって、
ものすごく曖昧な記憶に過ぎないわけです。

しかも、その記憶を並べ立ててみたとて、
じゃあそれが私か?というときっと納得できないんですよね〜。

私は昨日カレーを食べた者である。
どこどこの学校を出て、今は◯◯で働いている。
性別は男で、家族は誰々で、名前は□□で、、、。

と色々と設定を思い出すことは出来るんですが、
で?私って何なの?
その寄せ集めが私なの?

と聞かれると、

いや、そうじゃない・・・・。

ってなるんですよね〜。

【私は在る】

そうじゃないのなら、私はいないの?
って聞かれるとね〜?
いや、そんなことはない。私はちゃんとここにいる。
って感じると思うんです。

説明しようとすると瓦解しちゃうんだけど、やっぱり強固な私という感覚はここにあるんだよ〜。
ってな感じでね。

これがね。私とは「在る」ものである。

ということなんです。

そして、それ以上でもそれ以下でもないんです。

ここに説明をつけることで、この「在る」と説明された概念が一緒くたにされてしまっているというわけなんですよね〜。

 

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