Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

安堵感と安堵

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【はじめに】

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん。
普段のお荷物は重いほうですか?

僕はね〜。
フルスペックの荷物となると結構重いんですよね。
でっかいノートPCにそれを充電するためのあれこれ。
さらにタブレット、あとは傘とか飲み物とかいれてしまうと、
結構ずっしりきます。

以前はこれくらいの荷物を持って毎朝電車に乗ってたんですけどね〜。
最近はめっきり出歩かなくなったので、
ちょっと足腰が弱ってるんじゃなかろうか?
と思っております。

足腰っていつからでも鍛えられるそうなので、
ちょっとウォーキングを再開しなきゃな〜。

ドラクエウォークかポケモンを再開したらいいのかな?

 

【重たい荷物】

さてさて。
僕らも普段、あれこれと考え事をしてたりするじゃないですか。
ちょっと気になる事があると、どんどん考え事って引き寄せられてくるんですよね〜。

そして、飽きもせず何度も同じようなフレーズを頭の中で延々と繰り返し再生したりしてね。

きっと心当たりのある方も多いんじゃないかな?って思います。

そんなあれこれの考え事をするのって、まさに重い荷物を背負っているのと同じような状況なんですよね〜。

心がズシーンと重く感じるってなこともね。
荷物を持っているのと同じような感覚なんです。

だからずっとそれをやってると疲れちゃいますし、あまりに頻繁だと疲れを通り越して身動きが取れなくなってしまうんですよね。

【全てが抜け落ちるとき】

そんなあれこれの考え事がパーッと消え失せるとき。
そんなときは、まさに重たい荷物をおろした感覚に似ています。

うはーっ!軽くなった!

ってなもんです。

この荷物をおろしたときって、なんかスゴイ解放感があるんですよね。

特に荷物が重けりゃ重いほどこの解放感も強く感じます。

いわゆる悟りの解放感ってのもこんな感じなんですよねー。
重い荷物をおろした解放感なんです。

【クセになる解放感】

ただこの解放感。
とってもいい感じなので、また味わいたい!って思ってしまうのが僕ら人間のサガみたいなもんです。
でもこの解放感は長い間荷物を持ち続けなきゃ味わえないので、
いったんおろしてしまった荷物をまた背負い込まなきゃならないんです。

しかも、一度荷物をおろした解放を知ってしまうと、この荷物って以前より重く感じてしまったりもするんですよね〜。

で、あれ?どうしたらいいんだろう。
もう一度あの解放を感じたいのに、、、。あの解放感をずっと味わっていたいのに、、、。
どうしたらいいのかわからない。
またあの解放に戻りたいのに、、、。

ってね。
変に迷ったりもしてね。

【安堵感と安堵】

そもそもこの解放感は、悟りとか目覚めとはあまり関係ないもの。
いわゆる副作用的なものですので、この解放を求めるというのは、
ちょっと的が外れているんです。

この解放感をずっと味わいたいっていうのは、無理なんです。

甘いチョコをずっと味わっていられないのと一緒でね。

なので、いわゆる解放感は徐々に薄まっていきます。

本来の目覚めは、思考からみるととても平凡でなんてことのないシンプルなものです。

なのでつい、その平凡なものよりも、刺激的な解放に目がいったりしちゃうんですけどね。
ここで、解放を求めちゃうと、「解放をずっと持っていられない自分」
つまりは、「まだなにか足りない自分」という分離の幻想をまた持ち込んじゃって、
探求が続いてしまったりするんです。

そして、荷物を背負っては解放。背負っては解放。ってなことを繰り返しちゃったりしてね。

ま〜確かに、あらゆる思いが抜け落ちたときに感じる安堵感は途方のないものなんですけどね。
安堵感と安堵はまたちょっと違うというわけなんです。

 

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