【はじめに】
ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
たまにねー。
こういう非二元の話を書いてたりしますとね。
非二元の話をしている人で、タクさんが思う本物は誰ですか??
みたいなね。
そういう質問をもらったりするんですよね。
この質問がね〜。
チョット不思議でしてね。
もし、この質問の意図が、非二元の話を信頼できる本物から聞きたい!
という意図なんだとすると、
え??ワシは??
あ、、、あの???ワシじゃだめなん??
って思ったりするんですよね。
だって、僕が、この人が本物だ!
って言う人の話を聞きたい!ってことでしょう??
これってねー。
なんだか、信頼されてるのかされてないのかよくわからないですよね。
信頼されてないのだとしたら、僕が本物だ!という人の話は嘘だ!ということになりますから質問の意義を失いますし、
信頼されているんだったら、僕の話を聞いてくれたら良いと思うし、、、。
ってねー。
ちょっと、ゲーム理論を思い出しました。
ゲーム理論というのは、「囚人のジレンマ」という話で有名な経済学の話なんですけどね。
ま、ゲーム理論の話は、長くなるのでココでは割愛させていただきます。
【信仰はストーリー】
さてさて、
とはいえね。
本物は誰なんだろう?って気になる気持ちってわからんでもないんですよね。
だって、その人が、本当は自分への信仰を目的にしていたり、
妙なものを売りつけることが目的だったりしたら怖いですもんね。
ただねー。
これって、信仰の話じゃないんですよね。
どちらかというと、
あなたは今のあなたのままで完璧
ということを確かめるという話なんですよ。
もちろんね。
そうは思えない諸々の事情はあると思うんですよ。
それも含めて、
あなたに足りないものはない。
ということなんですよね〜。
だから、信仰にしちゃったらダメなんですよね。
あなたの上に信仰すべき何かがある。
その信仰が足りないあなたを満たしてくれる。
ってことじゃないんですよね。
【信仰は気づいていない場合もある】
信仰ってのは結構厄介でしてね。
意外と、自分は何を信仰しているのか?って気づいてないことも多いんですよね。
信仰になっちゃってる時点でそれはストーリーであって、幻想なんですけど、
この非二元話も、信仰になっちゃってるパターンも結構あったりするんですよね。
私は、この話で楽になったんですけど、うちの子が、、、。とか
夫が、、、。
的な話もよく聞くんですけど、
これも、私は大丈夫だけど、うちの子はまだ完璧じゃないっていう思いからくる錯覚なんですよね〜。
ま、優しさでもあるんですけどね。
ただ、非二元の話は信仰するもんじゃないので、信仰になっちゃった時点で、
もう思考のるつぼの巻き込まれちゃってるというわけです。
思考というのは、危機感を演出して、ストーリーを永続させようとするカラクリがありますのでね。
信仰の裏には、結構「足りない」という危機感を演出していたりするんですよね。
【押しつけは信仰の兆候】
そんな信仰なんですが、本人はこれを信仰だと気づいていないパターンがほとんどです。
では、どうすれば気付けるのか?というと、
自分がなにかを人に押し付けようとしてる場合。
または、押し付けたいと思っている場合。
これは、あなたの中に何かしらの信仰が隠れているサインになるんですよねー。
それが、良かれと思っていたとしてもね。
でも、信仰というのは、ただ自分がそう思っているということに過ぎないんです。
だから、人に押し付けるものじゃないんですよね。
人に押し付けようとしている場合。
それが、良かれと思っていることでも、その奥には
「〜であるべきだ!」という観念が隠れていたりするんです。
ただ、オススメするってだけなら良いんですけどね。
押し付けたいという執着心がどれだけ自分の中にあるのか?
この辺をカッコつけないでみてみることで、みえてくるかもしれません。
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