【はじめに】
ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
いやー、
こういったお話を聞いてますと、
起こってしまいがちなのは、
この話を聞く前の自分より、今の自分のほうがちょっとステップアップしたんじゃないかな?
みたいなねー。
そういうことって確かめてみたくなっちゃいますよね。
自我ちゃんは、そうやって自分がより良くなるということにとっても興味を持ってますからね〜。
だから、どうしてもそうやって自分の立ち位置を確かめたくなっちゃうんですよね。
でもそもそも、自分の立ち位置なんてものは存在してないんですよね。
それはあくまでもイメージの中だけであるようにみえてるだけなんです。
ですが自我ちゃんとしては、このイメージの中の立ち位置にどうしてもこだわっちゃうんです。
このイメージの中の立ち位置に一喜一憂するうちに、そのイメージの枠にどんどん縛られてしまうわけですねー。
そしてある時、その枠が窮屈になってくるわけです。
【仮想の枠は比較の概念で作られる】
ちなみにそういった仮想の枠というのは、比較がないと捉えられません。
僕らのイメージっていうのは、すべて比較の概念でできているんです。
そして、そのイメージ内の自分とイメージ内の自分以外を比較して、
その立ち位置を探っているというわけですね。
ただ、どちらもイメージの中にあるんですよね。
このイメージ自体が自我ちゃんの働きそのものですので、
自我ちゃんの中に更に自分と自分以外を作り、
その比較の仕方もまた自我ちゃんによって作り出されたものであり、
またさらに、比較によって作られた自分と自分以外がいて、
その比較に自分が苦しめられるっていうね。
なんだか詳細に追っていくと複雑怪奇になっていきますが、
全部イメージっていうね。
なんじゃい。
とどのつまり、全部イメージかい!
全部思考かい!
ってなことなんです。
【イメージの反復が終わる時】
そしてその思考っていうのも、形あるものじゃないので、
常に働かせなきゃならないので、繰り返し繰り返し、
念仏のように同じようなストーリーを繰り返してるだけっていうね。
蓋を開ければ、なんとも単純なカラクリだったりするんですよね〜。
ただ、繰り返されるストーリーを聞くことで、体の方はその反応を反復し、
習慣化されてしまうっていうね。
そういう側面もあったりするわけです。
そして、イメージと反応がぺったりとくっついちゃうというわけですねー。
これってね。
お化け屋敷のおなじところでビックリするを繰り返しているようなものなんですよね。
それを想像すると、ちょっとおかしいよね。
もうええがな!しつこいがな!って思っちゃいますもんね〜。
で、不思議なことにこの辺のカラクリを確かめてみて、そのおかしさに笑うことで、イメージの繰り返しが終わってくれるんです。
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