Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りって?ブッダって??結局なに???

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【はじめに】

ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ブッダって言葉あるじゃないですか。
あれって、悟りを開いたもの。
ってな意味があるんですけどね。

じゃあ、悟りを開くってなによ?
ってことなんですが、
これは、
目覚めたもの。

ということです。

じゃあ、
目覚めるってなによ?
となるわけですが、

これは思考の夢から目覚めたもの。

ということなんですよね。

思考の夢ってなによ?
ってなると、
頭の中のおしゃべりです。

これから目覚めるってことです。

ただね。
この辺のことを思考でとらえちゃうと、
やっぱりちょっとミスリードしちゃうんですよねー。

このミスリードは、本来よりも大げさにとらえるというパターンもありますし、
逆に、過小評価しすぎるというパターンもあります。

今日はその辺りのことについて書いてみたいと思います。

 

【大げさになるミスリード】

ブッダの意味を思考でとらえると、ミスリードする。
ミスリードとは、本来よりも大げさにとらえることと過小評価しすぎるということがある。

ふむふむ。
「一見わかったようでわからんぞ??」
ってなりますよね。

まず、大げさにとらえるというのは、ちょっとわかるような気がすると思います。

つまり、
ブッダとは、なにか偉大な者に変貌したもの。
つまり人間を超えた、なにか神様的なものに変容した人?
というようなとらえ方ですね。

これは、まさに大げさなとらえ方です。

悟りを開いた?というのがいまいちよくわからないということに起因する大げさなとらえ方ですね。

なにか、第三の目が開いた?みたいな??
脳の松果体が開いた?

まあ、目が開いたり閉じたりするのは、乾かないようにするためですが、
第三の目なんてものはありません。
心の目である!なんてこともありませんのでね。

結局の所、悟りとは何かがわかったことでしょう?
つまりなにか人類では到達し得ない智慧を得たってことでしょう?
ということで、大げさにとらえられるパターンですね。

これはブッダという言葉のミスリードです。

【歌唱にとらえすぎるミスリード】

では、過小評価してとらえるというパターンはどういうことか?
というと、
思考の夢から目覚めたということは、
つまり、考えすぎなくなったってことでしょう?
たしかに、あまり考えすぎなくなると楽だよね〜!
っていうとらえ方です。

これはこれでミスリードなんですよね。

考えすぎなくなるっていうのは、一見そうなんですが、
全然違うものでもあります。

【思考でとらえようとすることによるワナ】

つまり、いずれにしても思考でとらえようとすると、とらえられないってことなんですよね。

思考でとらえるということは、どういうことか?と言うと、
いわゆる概念のパッケージとして収めてしまおうとするという試みです。

「つまりこういうこと。」というのは、ある種の概念パッケージなんですよね。
思考にとって難しいことというのは、あらゆる概念パッケージを組み合わせて、更にまとめてパッケージ化する。
この組み合わされた概念パッケージを色々と集めて更に組み合わせる。
ということになっていきます。

思考にとって、わからないこと。難しいこと。
というのは、概念パッケージが多いってことになるわけですね。

だから、わからないことを知ってそうな人は、きっとものすごく多くのパッケージを持ってるんだ〜!
って思いがちなんです。

また逆に、シンプルだけど、誰も気づいていない概念パッケージが何処かに転がってるの?
というパターンもあったりするんです。

りんごが下に落ちてるんじゃなくて、りんごと地球が引き合ってるんだ!
的なやつですね。

このいずれも、思考で捉える。つまりはパッケージ化しようとする試みなんですけどね。
そもそも、悟りというものは、そういうことじゃないんです。

【思考を超えたものとは?】

僕らは、物心ついたときからあらゆるものを思考というレンズを通して見続けてきましたので、そうすることでしか世界をみることができないって思い込んじゃっているわけです。

でも、そうやってみている世界は、ものすごく小さな世界とも言えるんです。

このレンズが外されると、思考を通してみた世界は、スクリーンの中にある一点のシミ。
真っ白のキャンパスの中にある、一個の点である。
ということを知るというか、思い出すんです。

ま、こんなことをまた思考で捉えようとすると、大げさに捉えられたりするんですけど、
思考を超えるというのは、思考を使うまでもないことであると同時に、思考では捉えられないものでもあるということなんです。

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