【はじめに】
ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
みなさんいい気分でお過ごしでしょうか?
いい気分も、悪い気分もいい気分。
ってねー。
ゆーたりしてるんですけれども。
やっぱり、悪い気分ってイヤですよね。
この悪い気分って何か?
といいますと、感情ですよね。
なんとも言えない、恐怖に似た感情。
この感情を注意深く観察してみると、恐怖以前の名もない原初の感情がみえてくるんです。
ただ、なかなかこの観察が難しいんです。
なぜなら、なもない原初の感情はすぐに思考とくっついちゃいますからね。
そして、思考とくっついた途端に、この感情に尾ひれがどんどん加わっていくんです。
今日は、この辺のからくりについて書いてみたいと思います。
【恐怖に似た原初の感情】
僕らを苦しめる元凶。
これって恐怖に似た原初の感情なんです。
なんとも名付けようがない感情で、言葉にしたら一番近いのが恐怖なんですが、
恐怖の元となる感情なので、厳密に言うとそれは恐怖以前のものなんですけどね。
こいつが働き出すと、思考はそれを増幅してしまうんですよね。
これが、ちょっと厄介なんです。
思考によって増幅された感情は大きなパワーで自分を取り込んでくるんです。
そして、目の前はのどかな田園風景が広がっているにも関わらず、体験的には大いなる危機が迫っているような感覚に悩まされたりするわけなんです。
「なんで、思考はそんなありがた迷惑なことをするん??」
ってことなんですけどねー。
これでも、思考ちゃんはこの感情を排除しようと頑張ってるんですよね。
異物が入るとそれを排除しようとする働きに似た形で、思考が感情に介入してくるんですが、なんぜやり方が下手くそなので、結果的に感情を増幅させてしまうんです。
なぜなら、思考は理由付けをするという働きだからなんです。
例えばこんな感じです。
なにか恐怖に似た感情がある。
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そうだ!これは恐怖だ!
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何かしら危機が訪れているに違いない!
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何が危機なんだろう?あれかな?これかな?
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あれも危ないし、これも危ないな。
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家賃も今後払えなくなるかも知れないし、病気になるかも知れないし、
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老後もやばいし、日本経済もやばいし、、、
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私には能力が足りないからこういう感情を抱くんだ
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でも何が足りないのかわからない・・・。あれも足りないし、これも足りない。
とねー。
こんな感じで巧みな想像力を働かせて、あれこれと危機につながるストーリーを量産しだすわけです。
でね。足りないものを埋めようとあれこれと求め出すんです。安心を求めてね。
この安心とは、思考にとっての安心なんですよね。
これもまた、
名もない原初の感情を排除しようとする働きなんです。
【思考が頑張れば頑張るほど紐は絡まる】
このように、思考があれこれと「原初の恐怖に似た名もない感情」を排除しようとすればするほど、感情は増幅し、ややこしく絡まってくるんですよねー。
そして、増幅した感情は、あたかもものすごく強いパワーを持っているかのように振る舞い、取り込んでくるんです。
これが、思考や感情に取り込まれた状態というわけですね。
取り込まれたらどうなるか?というと、その思考と感情が「私」である。
という錯覚を抱くんです。
私ってね〜。存在してませんのでね。
存在してないからこそ、一番身近に感じるものに取り付いちゃうんですよね。
そして、私はなんとかしなきゃならないものになってしまうんです。
だから、「この私をなんとかしなきゃ始まらないでしょ?」
という結論に達するわけですね。
こうなってくると、思考を観ろ!感情を観ろ!と言われてもなかなかうまく行きません。
せいぜい、
私は何かが足りないと思っている。
くらいのところまでしか観れないんですよね。
そして、
「さあどうしたらいい?」
にすぐに戻ってきちゃうんです。
なので、最初は、ちょっとどうにかしようとすることを置いておくのが大事なんです。
感情や思考を観るには、そこから一旦離れなきゃならないんですね。
その置いておくための準備運動が、いわゆる瞑想だったり祈りだったりするわけです。
離れてみると、自然に全体像が浮かび上がってきて、このからくりがあらわになってくるという寸法です。
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