Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「今」はとってもつまらない

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【はじめに】

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

答えは常にココにある〜!
ってねー。

もうすでに、ゴールにいる!
とも言われておりますけど、、。

やっぱねー。

僕らって、うまくいってることって、
どうしてもつまらないんですよね。

だって、うまくいってることってどうでもいいことなんですもんね。

溺れてみてはじめて空気のありがたさに気づく!
ってなもんですが、
溺れないことには空気の存在なんて気にもとまりませんもんね。

ちなみに、僕は生まれつきの鼻詰まりでして、
空気の存在は結構気にしたりしております。

誘拐されて口をガムテープで止められたら、きっと窒息します。

 

【「今」はとってもつまらない】

今ここ。
これって、なんでもない今なんですけどね。
もうそりゃーつまらないんですよ。

だって、なんでもないんですよ。
つまらないですし、なんか心もとないことこの上なし!ですよね。

だから、なにか足しになるものを手に入れておきたいって思うんですもんねー。

そしてそれが思考ちゃんの仕事なんです。
だって、何かしらの危機に備えて対処するっていうのが思考ちゃんの役割ですもんね〜。

だから思考ちゃんは常に何かを求める。
これはもう仕方のないことなんです。

そして思考ちゃんは「今」に在ることができませんし、興味もありません。

思考ちゃんにとって、「今」は危険極まりなく、それでいて掴みどころがなく、
つまらないものなんです。

【思考の働きが分離を生み出す】

そうやって、「今」以外のどこかに自分を求めるという思考の働きは、
分離を生み出すわけですね。

なんでもない自分を心もとなく不安にかんじるので、
なんとか鎧をまとおうとするんです。

エリートサラリーマンの時計自慢、車自慢もこの延長線にある心理なんですね。

いい車はエライ!エライと尊敬される!尊敬されると生存確率が高まる!
ってわけですね。
ですが、もっとエライ人が現れると、途端に不安になるわけです。

分離は常に不安に付きまとわれます。

では、この分離と不安から逃れるために「今」に在ろうとしてもやっぱりうまく行かなかったりします。
その原因は、思考を「今」に戻そうとするからなんです。

思考では掴みどころのない「今」を掴むことは出来ません。

なぜなら、思考は過去の判断を「今」に投影し、過去や未来に答えを求める働きだからなんです。

この思考を「今」に定着させようとしてもそれは出来ないんです。

【そのまんまでオールオッケー】

じゃあどうするのよ!って話なんですが、そもそも思考というのは実在するものではありませんのでね。
それをなんとかしようとしなくても良いんです。
思考をなんとかしようとするからハマっちゃうんですねー。

そもそもどうにかしようとしなくても良いんです。
実在のないものをどうにかしようとする。
これこそが幻想に惑わされるってことなんですねー。

ま、こういうことを書いちゃうと、思考はまた、幻想に惑わされずに真実を掴まなければっ!
ってなるんですけどね。

この辺は、思考ちゃんの可愛いところでもあるんです。

そして、この思考ちゃんの幻想がぬけてくると、
とてもつまらない今が、輝いてくるんですよねー。

「くはーっ!これでよかったのかー!」
ってなるわけです。

「これで良かったし、ココにずっといたんです。」

そして、その時、思考ちゃんとの和解があるんです。
どんな思考ちゃんもこれまたかけがえのない素晴らしいものだったんです。

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