Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

静寂に溶け込む

f:id:takuteto:20210731075351j:plain

【はじめに】

はい。
何故か不意に、若い頃上京してきたときのことを思い出していたタクさんです。

20代前半のころ、とある有名なデザイン事務所が雑誌で新しい事業を始めるに当たり仲間を募集中ですって書いてあったので衝動的に応募してみたのがきっかけでした。

いやー。
僕はずっと関西で育ったんですけどね〜。

けっして悪口じゃないんですけどね。
東京の言葉って、普段あまり聞き慣れない関西人が聞くと、
なんていうのかな。

ちょっと、女性的な言葉に聞こえるんですよね。

オカマ言葉?みたいな感じ??

今はもう完全に関東に慣れてしまったので全然そんなふうには感じないんですけどね〜。
なぜか、昔はそう聞こえたんですよね。

だから、東京に出てきて初めて六本木の事務所に出社してきた時、
窓から東京タワーとかがみえたり、オフィスが異様にオシャレだったので、
ものすごく緊張してたんですが、
朝の朝礼で、みんなしゃべるんですが、おじさんたちがこぞって女性的な話し方に聞こえたときは、
「やばい!ここではやっていけないかも知れぬ!」
と冷や汗をかいたものでした。

ちなみに、関東の方の中にも、関西弁は苦手だ〜!っておっしゃる方もおられますね。
きっと粗野な感じに聞こえるんでしょうかね〜。

そんな事情もあり、実はこのブログも、元々は関西弁丸出しな言葉で書いていたんですが、
徐々に標準語に近づけております。

すっかり僕もバイリンガルでございます。

どうもおはようございます。
自分から放つ言葉は、ダイヤモンドのように輝かせていたいものですね。

 

【自我ちゃんは言葉でできている】

さてさて、そんな言葉ですが、僕らの自我ちゃんっていうのもかなり言葉の影響って受けたりしますよね。
日本語を話していると、やっぱり日本人っぽくなりますし、英語だとちょっとオープンな感じになったりしたりしますもんね。
ま、僕は英語を話せませんが、、、。

自分が話す言葉って、一番身近で聞いているのは自分ですからね。
そんな言葉は聞いた途端、全身で受け止めているわけです。

結局、僕らが人生と呼んでいるもの、自分自身と呼んでいるもの。
これらは、頭の中で紡がれる言葉でできているといっても過言ではありません。

【言葉奴隷からの解放】

これらの言葉って、話さなくても、頭の中で紡いでいるだけでもガッツリと聞こえています。
毎日、毎時間、毎瞬、その言葉を聞き続けることで、その言葉で自我ちゃんは形成されております。
こういう事情もあって、いわゆるスピ系の教えの中には良い言葉を使いましょうという教えって多いですよね。

ま、僕はあまりこの教えはオススメしてないんですが、言葉はギフトですから、自分にも他の誰かにもギフトを送るつもりで紡ぐのは良いんじゃないかな〜って思います。

ただし、良いや悪いのこだわりが強いと、どんどん言葉の奴隷に成り下がってしまったりもします。

僕らは言葉の奴隷ではありません。
自我ちゃんは言葉によって作られておりますが、それは自分ではありませんからね。

もし、強く思考に同化していると感じたならば、言葉に絡め取られているのかもしれないなーって、ちょっと意識してみると良いかも知れませんね。

【静寂に溶け込む】

僕らは頭の中のおしゃべりをずっと再生し続けているせいで、ちょっと言葉中毒担ってる部分もあるんですよね。
だから、静寂にただあるというのに慣れてない部分もあったりするんです。

本来、全てはなんでも無いものです。
だから、なんでも無い今にただリラックスしてれば良いんです。

必要なときに頭の中で言葉が紡がれるのは問題ではありません。
それらは起こっては消えていくものなんです。

頭の中のおしゃべりはついつい身体を反応させ、この反応に対してどうしたら良いのか?とまた言葉が紡がれたりしちゃうんですけどね。

そうなるとまた、言葉の奴隷に戻ってしまいますのでね。

一度そんな頭の中のおしゃべりを置いておいて、身体の緊張感があるなら、じわじわとそれを緩めてあげて、ただ静寂に在ってみるんです。

最初は慣れないかも知れませんが、そうするうちに本質は静寂なんだということがジワジワと浸透してくるんです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!