Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

実際には存在しない「普通」という概念

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【はじめに】

はい。
どうもおはようございます。

なんか最近、ADHDとかHSPとかSDGsとかLGBTとかとか、
これまた、アルファベット単語が増えていて、
もう許容量をこえてるよー!
と叫びたい気持ちのタクさんです。

ただねー。発達障害ってあるじゃないですか。
あれって嘘だと思いません??
障害??失礼な!!!
ってねー。

僕は、ちょっと疑ってるんですよね。

確かに、生きづらかったりする人って多いと思います。
僕も、生きづらさに悩んだ口ですからねー。

そういう人が、発達障害だと聞いた時、
ホッとするって話をよく聞くんですけどね。

これ、障害なのは社会の方であって、自分じゃないんじゃないのん?
って思うんですよね〜。

社会の妙な境界線で、障害と区分されとるだじゃないのか?
ってね。
疑って見ております。

だって、昔はそんなのなかったもん。

ビル・ゲイツとか有名な経営者さんが、実は発達障害だった!
みたいな話を聞いたことがありますが、それって、
勝手に決められた普通という枠を超えた天才だということじゃん!

ってねー。
思うんですよね。

その証拠にアフリカや発展途上国では発達障害の発病率は低いらしいです。

これって、病気じゃなくて、右へならえの枠組みが強いか弱いか?
ってことじゃないのー?実は均一化しすぎた社会が病気なんじゃないのぉ〜?

ってねー。
しらんけど。

 

【「普通」という概念にだまされるな!】

まー、ここ数十年で薬の種類と病気の種類がものすごーく増えてたりしますもんね。
生活習慣病というものも制定されてたりして、作ったもん勝ちかいっ!
ってなもんです。
ウエストが何センチ以上は生活習慣病ってねぇ。
そんなん、お相撲さんはみんな病気になっちゃうじゃないですか。

ま、何が言いたいのか?というと、僕のウエストがそろそろやばい!
ってことなんですけどね。

ま、それは置いておいて、
あまり、「普通」っていうアリもしない概念に振り回されなくても良いんですよね。

【存在しない普通という概念】

私は普通じゃない。
っていう思いでねー。
悩んじゃったりする方も多いと思います。

やたらと、平均値や中央値なんてのも出てたりしますからね〜。

ま、平均っていうのは、ホントに当てにならないので、まだ中央値を出してくれてるだけマシではあるんですが、そもそも「普通の人」なんてのは存在していないんです。

完璧に普通の人なんてのがいたら、この人はかなり変わった人なんですよね。

だから、普通じゃないことで悩む。
ましてや、普通じゃないことで、自分は何かが足りないんじゃないか?
って考えるのは、ちょっと自分に対して失礼千万なんです。

そんな無いもので攻撃される自分がかわいそうです。
冤罪もいいとこですもんねぇ。

【普通じゃないと感じるならそれは才能】

もし、自分の中に普通じゃないと思う部分があるとするなら、
それはもう才能ですからね。
愛でるべき部分なんですよ。

ま、とはいえ、
「でも、、、だって、、、」ってなっちゃうのはわかるんですけどね。
ただ、こういう思いって、「比較」という概念が生み出す副作用なんですよね。

そもそも、この世に比較できるものって存在しないんです。
その無いものを、ある「てい」にできる!っていうのが僕ら人間の特技なんです。

ただ、この特技の副作用として、比較によって、優劣という幻想を作っちゃうわけですねー。

ただし、この優劣を決める判断って自分次第でもあるんです。

だからもうぜーんぶ素敵な才能ってことにしちゃったら良いんですよね。

そしてあらゆる素敵な才能はもうすでに備わっているんです。
開花させるかどうかは判断しだいってことですねー。

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