【はじめに】
ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
いやー。みなさん、お元気でしょうか?
僕はといえば、もうめっちゃ運動不足です。
ほら、なんか最近、雨じゃないですか〜。
雨が降ってるとねー。
なかなか外に出ませんもんね〜。
ホント体動かしてないわぁ〜。
そういえば、仕事疲れのストレスってね。
やっぱり疲れてるから休んだほうが良い。
って思っちゃうじゃないですか。
だから、休日はゴロゴロしてるんだけど、どうにも疲れが取れん!
っていうときって無いですか?
そういうときって、逆に体を動かしたほうが良いらしいんですよね〜。
体を動かすほうが疲れをとってくれるんだそうです。
というわけで、最近は僕もちょっと疲れてきたので、
明日は散歩でもしようかと思っております。
【全てはただ起こってるだけ】
全てはただ起こっているだけ。
もうこれが真実なんですよね。
ただ、この真実は悔しいことに掴み取ることができません。
なぜなら、僕らがもう真実だからです。
ほら、僕らって自分で自分を掴み取ることってできないじゃないですか。
自分の目をじかに見ることもできませんし、
自分の顔だって、見ることはできませんよね。
それと似ておりましてね。
掴み取ることはできないんです。
だから、もうすでに「それ!」なんですね。
でも、もうすでに「それ!」と言われても、
なかなか、そうは感じません。
ってなっちゃったりするのもねー。
それは、掴み取れないものだから、そりゃそー!なんです。
【分離の始まり】
そんな中。
やっぱり思考ちゃんは、知りたガーリンですからねー。
何でも、バシッっと一刀両断にしなきゃきがすまんわけです。
だから、
これがこうっ!
それはこうっ!
ってね。
掴みたがるんですよね。
掴むからには、この眼前に広がる全てをバシッと分けて、
一つはこっち側。そして、もう一つはあっち側。
って分けていくわけですね〜。
そして、こっち側を自分だとするわけです。
そんな仕組みで、あらゆる解釈を始めるわけですね。
解釈の材料は見てきたものや聞いたことです。
だから、わからないことがあると、
「ふむ。これは見てきたものの中に答えがないので、探さねばならぬ!」
となるわけですねー。
だから、答えはどこか外にある!
となってしまうんです。
足元にある「それ」が見失われるというわけですね〜。
【許し】
でね。
ちょっとここで、勘違いしやいのは、
そうか!悪いのは思考か!この思考をしっかりとコントロールしなきゃならんのだな!
でも、この思考、暴れまくっててどう手を付けたら良いのかわからない!
ってなるんですねー。
まるで、暴れ牛に無理やり乗っかろうと試みるような感じでしょうかね。
僕がよくここで書いている、心が軽くなるコツみたいな話も、
まずはこの暴れ牛を鎮めようとする試みのものだったりするわけなんですが、
それは、最終目標ではないんですよねー。
最終的、というとちょっと語弊がありますが、結局思考がどうなってようと、
問題は無いんです。
問題なのは、思考がコントロールできないのは問題だ!としている思い込みなんですよね。
だから、どんな思考もあって良いものなんです。
これをよくここで、天気のたとえとして書いておるわけなんですが、
暴れ牛を鎮めようとする段階で、天気のたとえを持ってきてなんとかしようとしても、
なかなかうまく行かなかったりします。
それは、窓の風景として、外の雨を眺めるのと、
ザザぶりの雨の中、この雨は単なる天気なんだ〜!だから濡れても気にすること無いんだ〜!
って叫んでるのと似ています。
まずは、その雨から離れてみないと、いつまでも濡れっぱなしということです。
離れてみると、自然に許されるんですねー。
だから、許しとは離れてみることだったりするわけです。
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